国際競技ではほとんどが「愛国者」
2006年 06月 19日
■ワールドカップ、本日、日本は第2戦でクロアチアと対戦、0対0の引き分けだった。試合後、中田選手は不機嫌そうに「勝てた試合だったのに、緩急がなく同じペースでやってしまった」と話していた。単純そうに見える競技だが、複雑微妙なかけひきがあるのだろう。
球技は一般的に偶然性に左右されるスポーツで、9割方勝っていても、一瞬の隙で敗れる。そこが面白いところである。
引き分けにより、日本が決勝進出するには、次のブラジル戦に勝たなければならないが、これは至難のワザのようだ。
■国際競技を見ていると、ほとんどの人は「愛国者」になるようだ。郷土の代表が活躍するのは嬉しいものである。中には日本が負ければいいと思う日本人がいるかもしれないが、そういう人はよほど偏屈な人間かルサンチマンをもっている人だろう。
ぼくなど今の日本人や日本社会のあり方に距離を感じることが多く、違和感、嫌悪感もかなりの程度もっている。そういうことを口にすると、「じゃあ、好きな国にいけば」という答えが返ってきたりする。日本より好きな国があればとっくの昔にいっていますよ。
■なんだかだといいながら、世界の中では日本は良いほうである。良いというのは、ごく一般の人にとって、比較的住みやすいということである。ストレスが多く、自殺者も多いが、犯罪が多いといっても、じつは以前とくらべ凶悪犯罪は減っているとのこと。
飢餓線上の国や独裁国家のもとで生きる人たちに比べれば、日本人は幸いであるというべきだろう。
■ただ、経済競争に敗れ破産に追い込まれたり、激しい競争のもと強いストレスにさらされ自殺を思い詰めている人にとっては、決して住みやすくない。
戦後60年をかけ、みんなが幸せになろうと努力した結果、こういう社会を築いたのだが、最近はほころびが目立つ。
現在の日本社会に対する評価は、現在の立場によって人さまざまだろう。数十年前と比べて良くなったところもあるが、悪くなったところも多い。ぼくの印象では上品な人が減り、下品な人間が増えたという気がする。むき出しの欲望を良しとする価値観が定着してしまったのだから、当然である。欲望むき出しと上品とは対極にある。
■何新聞であったか忘れたが、読者の投書欄に30歳過ぎの人が「年金問題」に触れてこんなことを書いていた。今の若者は年金問題で、老人を養うために「払う」だけで「受け取る」額が少なく不利で不公平だといっているが、何かを忘れてはいないか。今の若者がそれなりにリッチで快適な生活を享受できるのは、自分たちの親や祖父が一生懸命汗を流した働いたおかげではないか。彼等の汗の果実を当然のごとく受け取りながら、そのことは棚にあげて、自分たちは不利だといって文句をいっている。それは筋違いではないか。そんな意味の投書だった。
■比較的若い層からそういう意見が出ていたことに、ぼくはホッとするものを覚えた。日常的に使っている言語や文化、安全、インフラ等々……社会のほとんどは先人が築き上げてきたもので、あとに続く者は彼等の背中に乗っているのである。
老いて働けなくなった人たちに、自分たちからなにがしかの負担をするのは当然のことである。問題は、時代のちょっとしたズレやシステム、法律の恩恵などで、有利に資産などを築き横柄に振る舞っている一部の金持ち老人である。
■金持ち老人の中にも積極的にボランティアをしたり、世の中にお返しをしようと勤めている人もいるが、存在自体が他の国民にとって迷惑このうえなく、害毒を流している人もいる。
別に老人に限らないが、「オレの土地だからどう使おうと勝手だ」とばかりに、必要以上に広い土地に居座っている人など、迷惑の典型例である。
特に都会の場合、限られた土地である。自分が大欲をだして広い土地を自分と一部取り巻きや身内だけのために使えば、その分、ほかの多くの人にしわ寄せがいく道理である。
有限のものはなるべく「分け合う」という精神が欲しいものだ。土地を細切れにしてマッチ箱のように家が数多く建つのも問題ではあるが、それは都市計画の問題だろう。
日本にはそもそも都市計画なるものがないに等しかった。ヨーロッパ諸国の町並みと比較すれば、歴然としている。
■現在、自宅から200メートル離れたところでビジネスホテル建設に反対する運動が起こっている。すでに工事がはじまった段階で付近の住民はホテルであることを知ったようだ。ホテルの建築主は×倉庫であるとのこと。
石原都知事であったか東京の町を形容して「ゲロを吐いたようだ」といっていた。確かに諸外国と比べ、東京の景観はよろしくない。
特に盛り場のけばけばしさはどうだろう。新宿駅など、駅前は消費者金融の看板を中心に下品な看板ばかりが並んでいる。「自由市場経済だし法律に違反していないから悪くない」と思っているのだろうが、困った現象である。
■最近、日銀総裁が例の村上ファンドへ1000万円を投資し、見返りとしてどうも合計3000万ほど利得をもらっているらしい。それでも「法律違反ではない」といって、総裁の地位に居座っている。経済に重要な影響を及ぼす中央銀行の総裁が、こんなことをやって通用する社会は独裁国家以外にあり得ない。
単に法律に違反していないから良い、というわけにはいかないのである。そのくらい、日銀総裁という地位は重い。イギリスの「フィナンシャル・タイムス」なども写真入りで福井総裁の件をとりあげているとのこと。このまま地位にとどまるようだが、「日本の恥」である。
■上がこんな調子だから、下は当然のごとく、ならう。教育基本法を云々する前に、社会のリーダーたちが襟を正さなければいけないのに、逆である。どうやら、村上ファンド社長がかつて勤めていた通産官僚や与党の政治家の中にもファンドに投資していた人がいるらしい。表面化すれば「リクルート事件」に匹敵する大スキャンダルになるだろう。ホリエモン事件は入り口ににすぎず、村上ファンドのMともう一人、竹中金融政策のブレーンのKがメインターゲットであると指摘するジャーナリストもいる。
■政権交代すれば数々のスキャンダルも表面化するのだが、果たしてどうなるか。一部の人ではなく多くの人が住みやすい社会にするためにも、検察は事件の真相をあぶり出してもらいたい。
政権中枢を直撃するとなれば、検察も手をゆるめてしまうに違いなく、その可能性が強い。
こういうときこそジャーナリズムの出番である。マスコミの調査報道に期待したいものだ。