コラム


by katorishu
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憂うべき運動能力の低下

 10月10日(日)曇り
 11日の体育の日を前に、文部科学省が2003年度の「体力・運動能力調査」を発表した。それによると、20年前に比べ、例えば11歳の男女とも、運動能力が相当程度低下していることがわかったという。とりわけ低下が目立ったのは運動を「ほとんどしない」というグループである。
 以前は、ほとんど運動をしない子供でも、日常生活で体を動かす頻度が高かったということだろう。便利さ快適さが、子供の成長を蝕んでいる、としか思えない。
 運動を「ほんとんど毎日」するか「週に1-2日以上」というグループでも低下したが、落ち込みはそれほど大きくはなかったとのことだ。

 一方、40―79歳の中高年層では、握力や上体起こしなど7項目のテストの合計点が、男女とも全年代で5年前を上回った。とりわけ50―54歳の男性で5年前より11ポイントも高い41・1%が体力年齢が若かったという。
 「高度経済成長」の時代に入りつつあったとはいえ、まだ日本が貧しい時代に幼少期を過ごした世代である。現在11歳の子供というと、親はいわゆる「団塊ジュニア」の世代に重なる。バブル期に精神形成を遂げた世代であり、物質的な「豊かさ」のなかで生活習慣を身につけている。
 この世代の子供が運動能力が低下し、貧しい時代に育った世代が運動能力が向上しているというのは、いろいろと考えさせる問題を含んでいる。
 楽をして快適さをもとめようとする社会の流れとも関係しているのだろうが、一人っ子が増え、兄弟姉妹のいる子が減ったことと深く関係しているにちがいない。

 群れて生きる動物は「子だくさん」が普通であり、生育する課程で子供同士じゃれあったり、喧嘩をしたり、食べ物のとりあいをしたりして自然に運動能力や生きるうえの知恵を身につけていく。
 ところで、人間も動物の一種であり、いくら文明が進歩したからといって、自然の摂理から逃れられるものではない。子供同士、じゃれあって育てば、ことさらスポーツなどしなくとも、運動能力は自然に身につくはずである。

 都市化がすすみ、子供たちが群れて遊ぶ場が減ってしまったことも、一因かもしれない。
さらに、五感を働かせる遊びが激減し、ゲームなど視覚、聴覚に偏った遊びが増え、その上、ファースト・フードの氾濫である。社会も全体的に子供に甘くなっているし、子供がまともに生育する環境は年々悪化している。
 従って、子供の運動能力の低下は大人の責任、社会の責任である。
 
 麦踏みという作業がある。ぼくの子供時代、農民が畑でようやく芽をだした麦を足で踏む作業をやっていた。今はどうやっているのか知らないが、踏みつけるという一見、酷な試練を課すことによって、麦を強くするのである。
 
 子供の成育にとっても同じではないのか。一見、不条理に見えることが、長い目で見てその人の将来のためになる。獅子は子を谷に突き落として鍛える、といったこともいわれた。
 ぼくなど「年寄りっ子」で、幼少期、どちらかというと甘やかされて育った口なので、その後、社会に適応するうえでずいぶんと苦労をした。小学校にあがるころ、親父がシベリアから帰還し、甘い環境から一転して「厳しすぎる」環境に激変し、戸惑い、焦り、理不尽さに泣き……それが「トラウマ」になって、文学方面に走った潜在的動機であると思っている。

 ぼくを可愛がり、甘やかし放題にしたのは祖母であるが、祖母には感謝をすると同時に、「もっと厳しくしつけてくれたら」と恨めしく思ったことがある。
 何年か前、フランスである死刑囚が死刑執行をうけた。その男は刑の執行を受ける前に、「自分を甘やかした親を恨む」と語ったという。もっと親が厳しく育ててくれていたら、自分の人生行路はちがっていたはずで、極悪な犯罪を犯すことはなかったというのである。身勝手な言い分と思われる人もいるだろうが、ぼくは彼の言い分もわかるという気がした。

 幸か不幸か、ぼくは小心であり、かつ「文学」という「逃げ場」があったので、非行に走ることもなく今に至っているが、フランスの死刑囚の話は他人事とは思えなかった。ある高名な文学者も、自分はもし作家になっていなかったら、おそらく犯罪者になっていただろう……と語っていた。

 親が欲求不満のはけ口として幼児を虐待することなど論外だが、麦踏みや獅子の子育ての例(じっさいそうしたかは別にして)は大いに参考になる。
 なにも、このたとえは子育てに限らない。その道の「ビギナー」「新人」「新米」に対しても、あてはまるかもしれない。甘やかしは、その人をスポイルするだけである。

 かといって、「厳しい」ということも吟味しないといけない。「親」や「先輩」「先人」の中には、経験の浅い人間(子供はその典型)を「いたぶる」こと自体に、密かな愉悦を覚える人もかなりの程度いるのである。旧帝国軍隊の新兵いじめの古参兵のように。

 それと意識している人はまだいいのだが、無意識のうちに欲求不満のはけ口にしている人間もいる。優しさや思いやりの裏打ちがない「厳しさ」は、甘やかし以上に悪い。
 厳しさを他に課す本人が、そもそも自分自身を「甘やかして」いるのであり、そんな「厳しさ」に対しては「キレル」ことで抵抗する人間がでてきても不思議はない。

 運動能力の低下は五感の低下であり、生物体としての抵抗力、忍耐力の低下につながり、ひいては社会性や創造力の低下をもたらし、やがては民族の活力を弱めていくだろう。
 便利さ快適さを金科玉条のように、ひたすら求めてきた社会がもたらした、憂うべき統計の一例である。
by katorishu | 2004-10-11 03:11