NHK特集「ワーキング・プア」
2006年 07月 24日
■九州地方は記録的豪雨とか。地球環境がおかしくなっていることの具体的現れである。他の要因があるのかもしれないが、人類の天然資源の過剰消費が大きな原因ではないかと思っている。科学者ではないのでデータを示すことはできないが、肌で日頃感じていることである。
■本日、カミサンと運動不足なので20分ほど歩いて大井町駅近くまで行く。例によってコーヒー店を2軒まわり計5時間ほど仕事。資料読みに時間を費やす。仕事の必要があって、東京裁判で、11人の判事のうちタダ一人、「日本無罪」を主張したインド人弁護士のパル判事の「パル判決書」という部厚い本を読んでいる。文庫本で上下二巻で計1600ページを超えるもので、内容が濃く、一気に読み通せるものではない。
■東京裁判が勝者により一方的な裁判であることは、周知の通りである。パル判決は、右翼系統の人の「日本は悪くなかったんだ」という主張に利用されているが、パル氏の趣旨はそうではない。日本が昭和初期に行ったことは、悪いと認めた上で、法的にあの裁判は間違っている、と緻密な論理で論駁している。つまりあの東京裁判は公正ではなく、そこで裁かれる日本は法律的に「無罪」といっているのである。決して日本は悪くなかったとはいっていない。
■「世界の敵日本」という空気が醸成された当時、「日本無罪論」を主張することには相当の勇気がいったことだと思う。まだ下巻の最後の一部を読んでいない状態であるが、パル判事の熱い思いが伝わってきて感動した。
戦後日本が「東京裁判史観」に強い影響を受けてきたことは否定できない。しかし、勝者の身勝手さが漂う理不尽な裁判であることは明らかであう。特に文官であった広田元首相を絞首刑にしたことなど、強い憤りを覚える。
■同時に日本人がみずからの手で「あの戦争」の責任者について追究してこなかったことは大いに問題である。一部軍閥の強攻策にひかれ、さらに大手新聞や日本放送協会の煽動的な報道も、その責を咎められるべきである。
それを曖昧にして、とにかく経済的繁栄ばかりを追究してきた「戦後日本」。戦後史はそろそろ書き換えられるべき時にきている。
■大井町で夕食をとりがてら喜界島の焼酎を飲んだりし、よろよろ帰宅してテレビをつけると、NHK特集で「ワーキング・プア、働いても働いても豊かにならない社会」という番組を放送していた。日本の貧困層の実態を浮き彫りし、NHKならではのいい番組だった。小泉改革とやらの、いい加減さがすけて見える。「格差社会を云々するのは嫉妬である」といった意味のことを小泉首相は国会で述べたが、とんでもないことである。
■強いものが稼ぐことのどこが悪い、という意見があるが、人より2倍3倍働いて、知恵を働かして、2倍3倍、さらには5,6倍くらいのお金を得ることは了解できる。しかし、何十倍、何百倍の利得を得ることには異論がある。その類の「リッチ層」はシステムをうまく利用して稼いだだけのことである。しかもオリックスの会長や村上ファンド、さらには日銀総裁に見られるように、システムを作る側の人々がシステムを利用して膨大な利得を得ていた。
中国の「先富論」ではないが、一部の人が先頭を切って富むことで、その恩恵が下の層の及ぶ……という論理を展開する人がいるが、儲け仕事に走り、黄金に目がくらんだ連中に、それは期待できない。儲けること自体が生きる目的になってしまっているのだから。
長い目で見たら、あの類の連中が跳梁跋扈することは、日本民族のためにならない。なぜなら、彼等、極端な富裕層の出現のしわ寄せで「中間層」がどんどん薄くなっているのだから。