コラム


by katorishu
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

「物書き」という仕事

 7月24日(月)
■ドキュメンタリー番組の企画の件で、某制作会社代表氏と話し合い。氏は某テレビ局で制作局長などを勤め、一緒に番組作りで汗を流した「戦友」といってもいい人だが、最近のテレビ界についても意見交換した。「ちょっと低俗化がひどすぎる」という点で悲しいことに意見が一致した。「素人が多すぎるのです。スタッフもタレントも」と某氏。文化とは世代をこえてバトンタッチしていきながら磨かれていくものだが、どうもこの20年ほどでバトンタッチがうまくいっていないようだ。

■「とにかく本を読まない人が多する」という点でも意見が一致した。新聞さえ読まずに、情報のほとんどはインターネットからという人が多くなっている。インターネットは確かに便利で手っ取り早いが、それだけに頼っていてはダメである。 
 例えば調べ物をする際、新聞の縮刷版などを見ると、目的の記事以外にさまざまな「発見」がある。隣の記事に時代を象徴するような事件や現象が並んでいたり、広告宣伝なども時代を映していて興味深い。対象の記事の内容は、そんな「時代相」の中で起きたことなのである。周辺の記事は広告はプラスアルファであるが、これが意外に大事なのである。

■インターネットで調べると、プラスアルファの部分が削り落とされてしまう。新聞記事だと、記事の大きい小さいで価値を計ることもできる。諸々雑多な出来事の中で起きたことの「意味」が大事なのだが、インターネットではそれがわからない。アナログ情報を軽視するところからは、豊かな文化は生まれない。

■本を読む人が別に偉い人でもなんでもないのだが、よく本を読む人と読まない人は、10分ほど話していてすぐわかる。話さなくても、顔を見ればわかる。例外もあるが、よく本を読む人は比較的思考が深い。読まない人はどうしても紋切り型の発想になる。それが顔にでるのである。脳で思考するとき言語で考えている。言語を豊にするには、読書はふさわしい。つまり読書をしないと思考はなかなか深まらない。
 読書では抽象的な言葉から意味を読み取りイメージを喚起しなければならない。それが脳を鍛えるのである。鍛えた脳の持ち主は、肉体を鍛えたスポーツマンと同じで、外見上からもすぐわかる。

■自由業をすでに26年もやってきているが、自由業の最大の特徴は「自由に時間を使える」ことと「収入が一定していない」ということだろうか。
 カミサンも文筆業で自由業である。二人ともそのときの気分で仕事をしたり、しなかったりするので、規則的な生活とはほど遠いものになる。
 本日も、夜の1時近くになってから、運動不足なので散歩に行こうかということになり、5分ほど歩いた運河の近くにあるファミレスにいき、ビールを飲みながら3時間ほど仕事。運河の向こうは問題山積のJALの本社ビルで、霧に煙っていた。運動にならなかったが、気分転換にはなった。

■社会を右から見たり左から見たり、さらに上から、下から、斜から見たりして、批判や同情や嫌悪をこめたりして妄想をふくらませたりしながら「作品」に定着する。視点をズラスことで見えてくるものがある。どうも「まっとうな」生活をしていては、このズレが生まれない。昔の「無頼派」作家は、あえてハチャメチャな生活をして世間のモラルからはずれる生活をすることによって、自分を窮地に追いつめ、そこに開きなおった。開き直った地点から社会を見ることによって「視点・視角」を獲得し、独自の発見をしていったのだろう。ハチャメチャな生活に対する世間の批判、非難、あるいは憧れ等々が、また彼等の書きものの糧になっていたにちがいない。

■ぼくは小心で、社会から大きく外れるだけの「勇気」がないので、とても無頼派にはなれないが、考えてみれば物書きというのも妙な職業である。物事の裏の裏、さらにそのまた裏を見ようとすることが習性になっている。誰であったか「善人」は作家になれない、どこかに「意地悪」な目をもっていないと、といっていた。
 別の人は「作家なんてノイローゼ患者みたいなもんだ。いつも、ああでもない、こうでもないとイジイジ考えて、優柔不断」といっていた。その通りである。例外はもちろんいるが、知り合いの物書きを見ても8割方そうである。もって生まれたものと、幼児期体験がもたらしているのだろうか。自意識過剰で、優越感と同時に劣等感を人一倍強くもっているのも、特徴である。
 厭な性格だと思うが、仕方がない。何の因果か、そういう巡り合わせなのである。そろそろ、新聞の朝刊が届くころである。このところ、朝刊を読んでから眠ることが多い。体には悪いのだが、「気分」を先行させると、どうしてもこうなってしまう。
by katorishu | 2006-07-25 04:30