梅雨が終わらない
2006年 07月 26日
■梅雨がなかなか終わらない。「記録的」という形容が毎年のように使われる。やはり地球の環境がおかしくなっていることの具体的な現れと考えるべきだろう。
人類の消費する膨大なエネルギーが、気象に影響を与えているのだと思う。便利さ、快適さばかりを追及する文明の先行きには、「環境」問題ひとつとっても、明るい要素がない。
■以前、食生態学者の西丸震也が『食べ過ぎて滅びる文明』という本をだし、一読してなるほどと思った。人間の飽食は、動物の一種である人間を脆弱にし、結局は滅亡に向かう原因になる、というのが骨子になっていた。動物は飢えには強いが、飽食には弱く出来ているとのことだった。西丸震也は『40歳寿命説』という本も書き、これはベストセラーになった。ぼくも読み、なるほどと思った。20数年前であったと記憶している。現在のところ「40歳寿命」という西丸の仮説はあたっていないようだ。しかし、『食べ過ぎて』という言葉を象徴的にとらえ「天然エネルギーを使い過ぎて」ということであったら、残念ながら当たるのではないか。
毎年のように続く「異常気象」から、そんなことを思ってしまう。
■日経の広告局の社員がインサーダー取り引きで逮捕された。3000万ほど稼いだとのことだが、愚かな人である。30歳を超えたばかりの若者だが、カネカネカネの価値観に首までつかってしまったのだろう。本人はゲーム感覚でやった、と話しているそうだ。ただ、彼の場合、本人が直接株取り引きをしなくとも、親族や友人に情報を流して、その人間が株投資をしたら事件は発覚しなかったのではないか。逆に考えると、インサイダー取り引きか、それに近い取り引きをやっている人は相当数いるということである。
■マスコミ関係者には一般的に「内部情報」がはいりやすい。日経の社員は例外中の例外ではなく、情報を知る立場にある人が直接手をそめていないしても、関係者にさりげなく情報を流すことで、その人が利得を得る……というケースもあると考えたほうがいい。
こういう事件が起こるたびに思うのだが、額に汗をせずパソコンのキーボードをたたいたりするだけで、何千万、何億もの大金を稼ぐシステムが果たして良いシステムなのだろか。
■以前の日本の社会では「欲張り」は軽蔑こそされ決して尊敬されなかった。ところが今は欲張りが大手をふるい、テレビなどでも人気を得ている。「カネを儲けてどこが悪いの」と開き直る「勝ち組」と称される人たち。この人たちのような生き方が尊敬され、多くの若者がそちらを目指すようになると、必然的に地道に働く人間が愚かしい……ということになる。バブル期、不動産投資等をして「頭で稼がない人はバカ」とテレビで公言していた経済評論家もいた。竹中大臣などが「IT革命」と言い出したころから、またぞろバブルのころと似た風潮が頭をもたげたようだ。
■こういう風潮が主流になると、モラルは荒廃しロクなことにならない、と予言したい。昔の人は先人の経験から、そういう風潮がモラルの荒廃を生じる……と肌で感じていたのだろう。
長い時間をかけて醸成してきたものの中には、人生の知恵がこめられている。もちろん、不合理で、納得できないこともいろいろあり、そういうものとは決別すべきだが、今や捨ててはいけないモラルまで失われようとしている。政治がそちらの方向に拍車をかけているのが現状である。
■久しぶりに品川図書館にいった。ノンフィクションの再校をあらためて読む。読み返す度にミスや改めたほうがいい部分を発見する。夏目漱石の「満韓の文明」から一部引用したが、漱石の文章中、文法的にヘンな箇所がひとつあり、校閲者が指摘していたので、それを調べる意味があった。原文にあたってみると、ぼくが書き写してものでよかった。今の感覚から見ると、ヘンだと思っていても、あの漱石先生の書いたものである、これはこれでいいのでは……と思った。ついでに漱石全集をちょっと拾い読みしたが、文に味があり、あらためて漱石の作品を読んでみたい気になった。漱石の長編小説はほぼもっているのだが、長編は3,4編しか読んでいない。もったいないことである。
■図書館にはいついっても見る顔がある。恐らく毎日足を運び、長時間過ごしているのだろう。恐らくは年金生活者なのか、雑誌に目を通したりビデオをよく見ている60半ばと思われる女性。さらに50代前半と思われる携帯パソコンといつもにらめっこしている男性。この人は図書館が閉館となる20時以降は近くの広いコーヒー店に場を移し、閉店の23時ごろまで座っている。あるいは文筆業なのか、どうか。ひどく孤独な様子で、人と口を聞くこともない。いつも険しい表情をしており、一瞬、失業者かな思ってしまう。もっとも、一部の「売れっ子」を除き、ぼくも含めた大方の文筆業は「半分失業者」のようなものであるが。