人類の本性は戦争好き?
2006年 08月 06日
■暑い日だった。新宿で某氏と情報交換。ぼくなどの知らないビジネスの世界の仕組み等々、2時間あまり濃い時間を過ごせた。違う分野の人や違う考えかたの人と、たまに意見交換することは大事なことだ。なるほど、そういう考え方、そういう見方があるのかと教えられる。逆にこちらの考え方も、相手には新鮮に映ることもあるはずだ。
■大事なのは話し合いである。人間が他の動物と違うところは「言語」をもったということである。これだけの人間が地上にひしめきあっているのである。いろいろな衝突は摩擦が起こるのは当たり前である。小さな争うが積み重なって、国家規模での争いに至ったとき戦争になる。そうなる前の話し合いが、今こそ大事な時代はない。
実際の武力行使の前に、関係者がとことん、つきつめて話し合ったかといえば、歴史を読む限り、彼等はそこまでの努力をしてこなかった。
特に権力者は性急であり、話し合いより自らの権力を誇示して、力で相手を納得させる傾向が強い。
■人間が過剰な欲望をもつ限り、地上から争いはなくならず、争いの究極の形である戦争もなくならない。それがぼくの基本認識である。だからといって戦争を奨励しているわけではない。限りなく戦争をゼロにさせるため努力を、とことんするべきだろう。それでも戦争を地上から一掃させることはむずかしい。戦争が地上から消えるとき、恐らく人類は滅亡の坂道を転げ落ちるときだと思う。
戦争や対立、争いはできるだけ避けるべきことだが、皮肉なことに文明の進歩にもっとも寄与したのも戦争や対立、争いである。人類はこのマイナスの現象から、いかに多くのことを学んできたか。戦争がなかったら人類はここまで文明を発展させることはできなかったであろう。文明がここまで発展し、さらに発展しつづけることが、良いか悪いかは別にして。
■イスラエルのレバノン攻撃がやまない。軍事力で圧倒的優勢なイスラエルの背後にはアメリカのネオコンがいる。ヒズボラを殲滅するまで攻撃を続けるとイスラエル側はいっているが、ヒズボラは単なる「テロリスト集団」ではない。レバノン国民の支持をえて、国会にも議席をもっている組織である。
このブログでも何回か書いているが、あの土地に米英によった一方的にイスラエルを建国したことが中東を混乱に導いたそもそもの原因ではないのか。さかのぼればイギリスの中東植民地政策だが、かといってイスラエルは自己防御のため、戦い続けるだろう。一方、パレスティナをはじめアラブ諸国もまた、自己防御のため戦いつづける。
■イスラム世界を武力で屈服させることなどできなし、共生しか道はないののに、超大国アメリカは自分の意にそわない国や組織を武力で屈服させようとする。インディアンを駆逐、殺戮して出来上がったアメリカという国のもっている宿痾(しゅくあ)なのかもしれない。世界の多くの国民に反米感情がひろまっている。日本はアメリカ、とくにネオコン主導のブッシュ政権に距離をおかないと危ない。