テレビを見ない若者
2006年 08月 11日
■午後、西葛西にある映画専門学校に。来年入学を希望する生徒のオリエンテーションを頼まれたのだが、本日のシナリオ志望者はゼロ。暑い盛りでもあり、わざわざ足を運ぶ若者もいないのだろう。結局、5人の在校生が出席した。シナリオの心得ほか、ものを創ることの意味等について、2時間近く具体例をあげて話した。
生徒が5人で小さなテーブルの囲んでの講義なので、若者の生活意識等について情報を得ることができた。生徒は監督志望が3人、シナリオ志望1人、プロデューサー志望1人であったが、沖縄出身のプロデューサー志望の生徒をのぞいて4人は、日頃テレビをほとんど見ないと話していた。
■現在、半分程度の若者はテレビを見ていないと思っていたが、8割も見ていないとは、驚きだった。テレビ離れは急速に進んでいるようだ。20歳前後の若者5人のうち4人が、テレビとはほとんど無縁の生活をしているのである。今のテレビが若者の見たいという意欲を満たしていないことが、よくわかる。彼等は物を創りたいと思い、同じ年代の人間としては意欲的な部類に入るはず。彼等が見ていないテレビ。彼等にそっぽを剥かれているテレビ。中高年のテレビ視聴が最も多いとの調査がある。
なのに、テレビ画面は若者に媚びたつくりである。テレビの明日が、なんとなく見えてくる気がした。テレビ局員の多くは、若者のこんな意識の変化に気づいていないのではないか。気づいていれば作る番組も変わってくるはずである。
■テレビを見ないかわりに、彼等は当然のことながら映画をよく見ている。
ただ、問題がある。テレビを見ない若者は新聞等の活字文化にもあまり触れていないようだ。新聞も雑誌も本も読まず、テレビも見なければ、基礎的な情報が当然すくなくなる。インターネットからの情報では断片的すぎる。
それでは、この社会で何が起きているか、何が問題なのか等々、よくわからい。沖縄出身の若者は、この春東京にやってきたのだが、同世代の若者が社会の問題にあまりに無関心であることにショックを受けたという。沖縄では米軍基地の問題や、米軍再編、イラク戦争、北朝鮮のミサイル発射などを、自分たちの生活に直接かかわる問題としてとらえており、「問題意識」も強い。
■沖縄からた青年は社会を知るため、テレビをかたっぱりから録画して見ているという。見る番組も多岐にわたり、強い好奇心をもっているようだ。何10年か前の「やまとんちゅう」の若者を、ぼくは連想してしまった。で、「沖縄の視点にたって物事を見られるのは、きみの強みであり、その視点を忘れないように」等々のアドバイスをした。つまり「うちなんちゅう」の視点である。社会派の作品ばかりでなく、恋愛ものをつくろうが、家族ものをつくろうが、「日本でありながら実は日本ではない」沖縄という視点から見ると、本土にいる人間には気づかない風景があるに違いない。そこに若者の視点を加えて鋭く切り取れば、新しいものが生まれるはずである。他の若者も沖縄の若者に負けずに知的好奇心を発揮して頑張ってもらいたい。例によって言語の重要さを力説しているうち、いつの間にか予定の時間がすぎていた。
■コーヒー店で計4時間ほど仕事をした。夕食後、DVDで『ミリオンダラー・べービー』を見た。クリント・イーストウッドの渋い演技は興味深かったが、これがアカデミー賞受賞作というと、やや疑問が残った。コーチは女ボクサーを発見し育てヒーローにするが、彼女は重傷を負い再起不能になる。最後に、コーチは彼女に安らかに眠ってもらいたいと願い、彼女を安楽死させる。
物語が単線すぎることと、暗さが気になった。ハリウッド映画「らしくない映画」が、逆に賞の選考委員には新鮮に映ったのかもしれないが。