すでにお盆休みのようだ
2006年 08月 13日
■お盆休みにはいっている会社や組織が多いのだろうか。都内はこころなし静かである。午後、雷が鳴りひびき、雨も降ったようだ。
雨上がりの街を歩いた。空気が雨で洗い清められたのか、いつもより新鮮で、息をして心地よいと感じた。ものの輪郭がくっきりと浮き上がって見えた。自然はこういう状態が普通なのだろうが、極めて人工的な場所に住んでいると、こういう空気に触れることは珍しい。
■都心に近いところにも、セミが鳴いている。ほとんどがコンクリートで塗り固められており、セミがもぐりこめる土はないようだが、健気に生きている。スーパー脇の幅数メートルの人口の緑地で生き延びたのだろうか。まだミンミンゼミの鳴き声が聞けることで、やや安堵する。昔、神社の境内などで聞いたセミ時雨といった趣とはちがって、ほんのわずかのセミがないているだけだが。
■図書館で例によって資料調べと書き物。やはりいつもの土曜に比べ人はすくない。図書館が閉館後、足を運ぶ北品川の広いコーヒー店の客もすくなかった。特に注文があって書いたわけではない「家庭小説」の推敲。自分の書きたいものを書きたいように書き、完成した暁に、どこかの版元で本になる。これが理想である。
比較するのもおこがましいが、ひところ永井荷風はまず自分で作品を書き、私家版にしてからあらためて「商業出版」にしたようだ。注文に応じて限られた時間内にあくせく書くというところから、傑作が生まれることもあるが、追われると、やはり雑になる。
■昔、テレビドラマの脚本で、何度となく体験した。365日、なんらかの形で書いていたという気がする。以前のテレビにはホームドラマがあふれており、ゴールデンアワーの半分はドラマ、とくにホームドラマだった。この15年ほどで人心がかわるとともにテレビも変わってしまった。ある人には「良く」かわったのかもしれない。我が世の春を謳歌している人はそうだろう。
しかし、「悪くなった」と思っている人が、脚本書きの世界でも多数派をしめている。一家で茶の間の一台のテレビに向かいホームドラマを見ていた時代は、思えば平和で、おおらかな時代だった。
■「そんなのは社会主義だ」などといって、アメリカ帰りのエコノミストとこれに踊らされた政治家が、「改革」という名の自由競争、弱肉強食社会にしてしまったのだが、それで多くの人が幸福になっているかどうか。
一握りの層の幸福にその他大勢が奉仕する社会は、危うい。世界はとにみ反米気運が勢いを得ている。アメリカ型の弱肉強食社会では、多くの人は幸福になれない。かといって旧ソ連などの官僚統制国家でも、幸福にはなれない。
冷戦崩壊後、人類はまだ新しい社会システムをうまくつくりだしていない。すでに60億の人間が繁殖している地上の現況を考えると、見通しは暗いと考えるべきだろう。
■世界はますます混乱の度をくわえており、ある識者は、今の世界を「帝国主義時代と似たような状況になっている」と書いていた。「列強」のあらたな勢力圏獲得競争にはいっているのである。冷戦崩壊後、世界平和がくる……と期待した人が多かったが、逆の方向にいっている。世界はアメリカ追従か、反米かの、二者択一の世界にはいりつつあり、極めて危険な状況になってきている。
■ケーブルテレビにしてから、イギリスのBBC放送を見ることが多い。BBCでは中東関係のニュースに多くの時間をさいており、イスラエルに対しても批判的なスタンスを貫いている。日本のメディアではわからないことが報じられて興味深い。
イスラエルは生き残りのため、周辺のアラブ諸国に対して常に武力で威嚇しつづけなければならない。あの地に存在の根拠が希薄であるし、人工的に作られた国なので、今後ともパレスティナとの軋轢をかかえて生きなければならない。
■今回のレバノン侵攻では、ヒズボラの少し軽く見たようだ。背後にはイランがいる。
中東問題はイスラエル問題である。あの地にイスラエルを建国したことが、問題の種をまいたことになる。すでにある国の領土に割ってはいって「新しい国」をつくるという点では、中国の東北に戦前つくらえた満州国と、似たところもある。当時のパレスティナにも旧満州にも、今でいう「国家」らしい国家がなかったという点でも共通点がある。
アメリカが強力に後押ししているので、今後イスラエルがどうなるかわからないが、どうもこのままだと旧満州国の二の舞を演じるような気がしてならない。
早晩、イスラエルはイランをたたくことになるのではないか。それにアメリカが加わると、大戦になる。そのとき、中国、ロシアはどう動くか。今後、10年くらいの国際情勢から目を離せない。