突然の停電
2006年 08月 15日
■早朝、電話の子器の電源が落ちたことを知らせる警報音で目がさめた。雷や事故などの音も聞こえず、突然の停電。一瞬、電力料金を払っていなくて止められたかなと思った。停電になると冷蔵庫の中のものが心配と思いつつ、一眠り。起きると電気は通じていて、テレビの報道では、都心部を中心に「大停電」で地下鉄や電車も止まっているという。
■ほどなく、江戸川で高圧送電線にクレーンをのせた浚渫船が接触したことが原因とわかった。エレベーターの中などに閉じこめられた人も何十人かいたらしい。都心部では高層マンションがはやりのようだが、ぼくはとても高層に住む気になれない。都会自体が自然ではないが、中でも高層マンションは自然からかけ離れすぎている。そこに日常的に起居するのは、相当危険である。
■あんなに単純な事故でこれほど大規模の停電が起きてしまうのである。都市住民の多くは大都市の脆弱さを改めて実感したのではないか。今後、大規模の地震が必ずくる。そのときの混乱ぶりは今日の比ではない。
電子機器類でも、いろいろと便利な機能がついた最新の機器が故障しやすい。都市も同じである。精巧につくられたものは壊れやすい。便利さ快適さを追い求めるあまり、極めて脆弱な構造の街をつくりあげてしまったが、そのツケが早晩やってくるだろう。
そのときは、そのとき、なるようにしかならない、と開き直っているが。
■喫茶店で仕事の骨休めに、携帯パソコンにDVDをいれて映画『アダプテーション』を見た。2003年のハリウッド映画。ニコラス・ケイジが双子の脚本家を演じるコメディで、かなり複雑な構成の作品だが、最後までひっぱっていく。
『マッチスティック・メン』を見てから、ニコラス・ケイジのファンになり『救命士』『天使のくれた時間』ほか、主にビデオかDVDで見ているが、この作も、どこか、おかしく、哀感のある人間を見事に演じていた。
■メリル・ストリープ演じる作家が、蘭の花に見せられ小説を書く。主人公の脚本家はその作の脚色を依頼されるのだが、なかなかうまくいかず、シナリオ中に自らを登場させるなど、「映画の映画」とでもいった作品だ。小説家が小説を書くプロセスをも小説中にとりいれてしまう「小説の小説」の映画版である。この手法を最初に小説に採り入れたのは確かフランスの大作家、アンドレ・ジードで『贋金つくり』であったと記憶している。
映画だが、最後はちょっとドタバタがすぎる気がしたものの、興味深く見た。主人公が「作家や脚本家」それも書けなかったり行き詰まってしまった人物となると、どうしても他人事と考えられずに注視してしまう。「うん、わかる、わかる」と思わせるところが随所にあった。