コラム


by katorishu
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人も歩けば「素材」にあたる

 8月17日(木)
■現在、ブログの数は800万を超えているという。すべてが「日記」の類ではないが、相当部分が「日記」の類である。記す当人の「体験したもの」を「真偽のほどは確かめようがない」まま、公開されている。匿名のものもかなりあり、こちらは「暴露」もの、「中傷すれすれのもの」「政治的主張」など、さまざまだ。
 昨日、ある会合であったひとは「ブログで毎日、自分のことを暴露しているの、いやですね」と話していた。その人は「ライター稼業」を仕事としている40歳前後の女性。

■確かに彼女の言い分は理解でき、この「道草日誌」もどうしようかと思うときがある。一日に体験したことをそのままべったり記しているわけではなく、当然、取捨選択をしている。記さなかったこと、記せないことのほうがはるかに多いのだが、基本は「コラム」の類であると思っている。
 ただ、ほとんどを3、40分で書いてしまうので、誤字脱字も多く、深く考えたものではない。そのときどきに感じたこと、考えたこと、読んだ本、見た映画、演劇などの感想等々だ。相応の奇特な読者がいるので、まだしばらくは続けようかと思う。

■昨日は横浜の中華街で、ぼくが一時在職していたNHK報道局外国放送受信部のロシア班をメインにしたOB会。すでに昭和52年に廃部になってしまったところで、15人参加した中で、現役の職員などはいない。なにしろぼくより年下は1人という集まりである。懐旧談等が中心になる。あの人も、亡くなった、この人は病気……といった類の話がどうしても多くなる。
 その後、大学に職を得たり、非常勤でNHKの仕事をときおりしている人もいる。悠々自適の生活で、「こんなに恵まれていていいのかな」と「幸せである」ことを強調する人もいた。

■なにをもって「幸せか」、人それぞれで、文句をつけることでもない。
 ただ、物書きにとっては「自足」してしまったら、それでおしまいだ、と思っている。「幸福」に思っている人に対しても「不幸のどん底だ」と思っている人に対しても、さめた目で見て「批判の視線」をどこかにもっていなくてはいけない。この世では、おうおうにして「誰かの幸せ」は「誰かの不幸」の上に成り立っていることが多い。

■中華街での会食のあと、山下公園などを散策。夜、神宮の花火大会を見ることができる渋谷の某広告事務所に。予定になかったのだが、時間がとれそうなので参加し、花火を見つつ、軽く飲食。20,30人の集まり。昔、神戸の貿易商の子息のN氏の関係で参加した。N氏はテレビラジオの初期の時代に広告や番組制作などにかかわった人で、すでに現役を引退し、年金生活者。芦屋の高台に邸宅があり、そこで育ったというボンボン……のようだが、「人間の良さ」は特筆ものだ。
 威張らず、明るく、陽気で、社交的。若い人に「愛されている」ことが、よくわかる。
 ぼくの出す本は必ず買って読んでくださり、感想を電話で伝えてくる。さらに他の人に宣伝してくれるし、公演などにも足を運んでくれ、書き手にとってきわめてありがたい人だ。「お客様はカミサマ」といった演歌歌手がいたが、まさにN氏のような人はぼくにとって「カミサマ」である。

■昨日は午前11時半ごろから、横浜中華街で飲み食いし、結局、夜の11時半すぎまで、飲んだり食ったり、話したりしたことになる。計4,50人に会っただろうか。何人かから作品のヒントを提供してもらった。〇氏から、「この人はきっと香取が興味をもつのではないか」という人物について話を聞いた。元神奈川県警の刑事で、日露の混血児。古武道の名手でもあり、神奈川県警を途中でやめ、今はなにをやっているのであったか。その人の母親ほか、関連する人がきわめて面白くユニークとか。近々、会わせるとのこと。そのほか、日露戦争の当時、「露探」とよばれた情報関係者(スパイ)について、ある研究者が某大学の研究誌に当時の埋もれた記録を発掘して載せているとか。某大学で中世スラブ語を教えているN氏がその論文を送ってくれるくださることになっている。
 場合によっては「小説」という形で使えるかもしれない。

■過日、作家の吉村昭氏が亡くなられた。ぼくはあるパーティで一度お会いしちょっと話をかわしただけだが、もっとも尊敬する作家の一人である。吉村昭を評価する人は多い。徹底した取材と資料調査をもとに、数々の「歴史小説」を書いてきた。氏が「歴史もの」のすぐれた書き手となるきっかけは「戦艦武蔵」である。あの冷静で簡潔、犀利な文体はすごい。それまでの氏は少年の心の揺れなどを描いた、幻想的な、繊細な小説が多く、ぼくは何編も読んでいるが、「戦艦武蔵」から大きく変化した。
 以後、幕末ものをはじめ、丹念に資料を駆使した「歴史小説」の傑作を書いた。
 ところで、司馬遼太郎の一連の小説は、資料の裏付けがとぼしいものも多く、かなり批判的に見ていた……と吉村昭氏から直接聞いた、と以前ぼくの友人が話していた。
by katorishu | 2006-08-17 23:37