コラム


by katorishu
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同窓会

 9月10日(日)
■立川グランドホテルで開かれた都立国立高校36年卒の同窓会に出席。学年全体で開かれたのは2回目だそうで、ぼくは初参加。80数人が出席。男子200人、女子100人、計300人の生徒がいたから、この出席者数はまづ妥当なところだろう。前回は100名を超えたということだが。

■ぼくのいたクラスは理系クラスで男子ばかりだった。2年になって理系と文系にわかれるのだが、当時、2クラスあった理系クラスにはいった女子は1人だけ。今と時代が違っていたのだろう。当時、電子工学が花形で「電子」と名がつくところは時代の先端を行っていたものだ。ぼくもそちらを目指したのだが、どうも大ざっぱなところがあり、理系ではなく文系向きだと思い、方向転換をした。それがよかったことなのか、どうかわからないが。

■ぼくのいた理系のC組クラスでは17名ほどが出席。理系の会社等に就職したひとが多い。彼らも今や定年退職し、「第二の人生」を歩いている。年金で悠々自適の生活をし、「仕事などいっさいしたくない」という人があれば、新しい会社をつくったり、関連会社に就職したり、人さまざまだ。幹事役のU君は長年NTT研究所にいて、いまは民間会社にいるが、こんなことを話していた。「大学を卒業してNTTの研究所にはいったが、考えてみると、この組織は納入業者等にお金を出す一方だった。ところが、今の会社は仕事をもらうほうで、初めてお金をもらう方と出すほうの落差を実感した」。
 資金が豊富にあって出す組織や人に対して、人は頭を低くして丁重にあつかうものである。役人やこれに準じる組織など、その最たるものである。出すほうは、いわば「特権階級」といってもよい。良い悪いではなく、そういう社会の仕組みである。

■民営化が進むなか、そういう「殿様商売」ではやっていけなくなっているようだ。NTTの研究所にいた人が3人きていたが、時代の流れのなか、巨大会社NTTも生き残りをかけていろいろ苦労しているようだ。
 某大企業関連の会社に努めているO君は毎朝5時起きで7時10分前に会社にいっているそうだ。築地の魚河岸ではあるまいし、どうしてそんなに早くいくのかと聞くと「リストラされないため」だという。企業買収にあい、中高年を中心に「働かない人はいらない」とどんどんクビにされていく。そうならないため、会社自体の始業は8時半なのだが、それより1時間半以上早くいって、仕事をするのだという。事務所は開いてなくて自分で鍵をあけて入る。もちろん、O君が一番早い。残業もある。過剰な労働である。そうでもしないと、個人が生き残れないそうだ。某自動車メーカーの話である。いやはや、である。

■定年のない「自由業」を長年続けてきたのは、ぼくと弁護士をやっているI君。I君は著作権関係の仕事をやっており、西新宿に事務所があるので、近々会うことを約束。同じ品川区内でベンチャー企業の立ち上げのコンサルタントをしているT君とも近々会おうと約束した。
 その他、出家したひと、自営のひとなど、人さまざまで、みんなかけがえのない人生を生きてきたのだと改めて思う。二次会もふくめ計4時間歓談した。
 最初、誰だかわからなかった人もちょっと話しているうち、記憶が蘇ってくる。1年のクラスには16名の女子がいたというが、何人かきているうち記憶に残っているのは2人だけだった。別のクラスのある女性から「わたしのこと、覚えていますか」といわれた。名前を見て思い出した。彼女にまつわる昔の記憶が喚起され、恥ずかしいやら、懐かしいやら……。とにかく、昔は若かった。

■9月末に出る本、『北京の檻』(文藝春秋)のPRも怠りなく行った。U君が積極的にPRしてくれて、必ず買うという人が5,6人。10部くらい売れるかなと思ったりする。本が読まれず、売れない時代なので、著者として折に触れてPRすることも必要である。
 たまには、こういう「回顧的な」集まりに出席するのもいいと思った。
 立川駅に久しぶりに降りたが、変貌ぶりに驚いた。米軍基地の町、立川の面影は駅周辺に限っては微塵もない。高校のとき、立川駅のプラットホームでGIと日本人女性が昼間、ディープキスをしていた光景を目にしたことがある。しばし見つめてしまった。駅を降りると、米兵の姿が目立つ時代だった。昭和も遠くなりにけり」である。
by katorishu | 2006-09-11 01:23