コラム


by katorishu
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往年の美人女優・竹久千恵子の死

 9月19日(火)
■新聞で竹久千恵子氏が亡くなったことを知った。昭和初期、トーキー映画が制作されたころ、「妖花」といわれ一世を風靡した「美人女優」であった。戦前の女優でぼくが直接お話したことのある数少ない人で、個性の強い人だった。ハワイ州の自宅で亡くなったそうで享年94。大往生であったと思う。竹久千恵子氏については『モダンガール』(筑摩書房)というノンフィクションを書いたので、いろいろ周辺のことを調べると同時に、ハワイ島のカムエラというところにある彼女の自宅に二度うかがった。いずれも1週間近く、二階に泊めていただき、いろいろと昔話を聞いた。

■あれから10年以上が経過するのである。放牧地に牛が一頭いた。その向こうに長男夫婦の家があり、彼の運転でハワイ島を見てまわったことなどが懐かしく思い出される。
 本はちょっと材料不足で、かなり書くのに苦労した。一冊になるには内容がすくなすぎたのである。竹久千恵子氏は同盟通信の記者をしていた二世のクラーク・河上氏と恋におち、複雑微妙な三角、四角関係をへて渡米し、結婚式をあげたものの、間もなく真珠湾奇襲により、辛い立場に置かれてしまった。

■夫のクラーク・河上氏は米軍の語学校に志願し、一方、竹久千恵子氏は最後の帰還船で戦時中、日本に帰国した。日本の敗戦のあと、クラーク・河上氏は志願して日本にやってき、「元妻」の竹久千恵子氏と劇的な再会をとげた。
 その後、竹久千恵子氏は映画に何本か出たほか、創成期のテレビにもちょっと出たものの、子供が誕生し夫のクラーク・河上氏がアメリカに転属になったことで日本を離れた。以後、芸能界とは縁を切り、3児の母としてハウスキーピングに従事した。

■エノケンや古川ロッパ、それに長谷川一夫や岡田良子、高峰秀子などとも競演している。原節子などとも『光と影』という映画で主演に近い役を演じていた。原節子のことを「節ちゃん」と呼んでいた。
 昭和初期の映画、演劇にふれるとき、欠かせない人だ。劇的なシーンはいくつかあるのだが、早い時期に芸能界を引退したこともあったほか、やはり「語りたくない」「語ると差し障りのあること」もあるようで、もうひとつ、彼女の人生の深淵にふれることに触れることはできなかった。
 従って、書籍としてはやや中途半端。情報不足を補うため、昭和初期の「軽演劇」についてかなりの部分をさくことになった。
竹久千恵子氏をモデルに『モダンガール』という芝居を、作演出で銀座の「みゆき館」で上演したことなどが懐かしく思い出される。

■7,8年前までは一年に一度、80の半ばなのに一人でハワイから東京に遊びにいらしていた。ぼくも東京で2回会っている。その後、時折、竹久さんは元気だろうか、と思うこともあったのだが、忙しさにとりまぎれてそのまま連絡等もしなかった。
 本日、朝刊の訃報欄で竹久千恵子氏の死が写真とともに載っているのを見て、辛い気がした。彼女がらみで、ここには記せないことや、ぼく自身のプライベートに触れる少々辛い話もあって……感慨はひとしおである。合掌。
by katorishu | 2006-09-20 00:13