感動はどこからくるのか
2006年 09月 22日
■夕方、渋谷で行われた428会という勉強会に出席。今回はぼくが講師役。「感動はどこからくるのか」という題で90分ほど話した。脚本等の執筆を通じて割り出したぼくなりの「感動の作り方」についての話が重点になった。テレビやインターネットなどの普及によって「未知の部分」が少なくなるにつれ、素朴に感動するということも少なくなった。
■知らないこと、珍しいことに接したり、話を聞いたりすることでも、人は感動するものだが、テレビ等の出現で「未知のもの」が激減してしまった。日々、映像による刺激を受けているので、すべては「既知」のものになってしまい、素朴が驚きがなくなってしまったのである。
本当は「既知」のものの中にも、「未知」のものが大量に含まれているのだが、多くの人はそれに気づかない。見る視点を変えて対象を凝視すれば、それまで「見えなかった」ものが姿をあらわしたりする。そういう手順をふまない人が増えている。だからこそ、作り手が仕掛けることが重要になってくる。
■情報が氾濫するなか、ある意味で「すれっからし」の視聴者、観客に、感動をどう仕掛けるか。苦労すると同時におもしろいところでもある。
その前に人が感動するという経緯については原則があるのではないか。法則があるのではないか。そんな点について、民話や伝説などの例をひいたりして、体験から割り出したことを中心に話した。うまく伝わったかどうか。かなり盛りだくさんな内容であったので、やや散漫になったかと思ったが、終わって何人かから、「役に立った」「面白かった」という意見を聞いた。お世辞が含まれているのだろうが、ここは素直に褒め言葉をありがたく受け取ることにした。
■終わって主催するプロモーション・センターの事務所で懇談の飲み会。これはこれで楽しいものだった。20代から70代まで幅広い人が集まるというのも、面白い。ぼくは比較的若い人を選んで話した。イッセー尾形氏の海外でのプロモーションをしているフィンランド人には、いずれイッセー・尾形氏にインタビューしたいと、ついでにお願いした。芝居を離れたイッセー・尾形氏はシャイで、初対面の人と話すのは苦手とのことであったが。
■『北京の檻』の見本が送られてきたので、428会に何冊かもっていったところ、瞬く間に売れてしまった。定価を割り引いて「売った」。本当はぼくが売ってはいけないのだろうが、知り合い同士なので、「売った」というより、差し上げたお礼として受け取ったということにしていただこう。
■以前、名刺交換をした同じ文筆家のKさんからメールがきて、ブログで読んだので買うとのこと。著者として嬉しいことである。他にも何冊か買って友人に配るといってくださる方も連絡をくれた。ビジネスから見たら本を書くことなど、労力、努力にほとんど見合わない作業なのだが、買ってくれた人、読んでくれた人がいることが励みにある。
読まれてこそ本である。読まれなければ、本は「存在しない」も同然である。