水俣病をあつかった一人芝居『海の魚』
2006年 09月 24日
■都下・町田市の鶴川にいく。この駅で降りたのは何年ぶりだろうか。TBSの緑山スタジオがあるところである。過去2回訪れたが、いずれも「取材」の仕事がらみであった。
本日はこの地にある和光大学に。大学のホールで「水俣・和光大学展」という水俣病関連のさまざまなイベントが行われており、本日は知人の役者の川島宏知氏が石牟道子氏作の一人芝居『海の魚(いお)』を見るため。
■水俣病の被害になった実在の人物をモデルにした「仮面劇」である。口を大きくあけてなにやらムンクの絵を連想させる悲しい人間の顔に似せてつくられた仮面が、独特の効果をあげていた。この芝居は砂田明という役者が1979年より1992年に病床に倒れるまで全国で566回もの公演をしたという。今回は砂田明を師とあおぐ川島氏が継承して、ライフワークとして上演していこうとするもので、その第一回。
■大学の、できたばかりの舞踏教室で、予算の関係もあってか照明が蛍光灯のベタ明かりであったので、仮面の「表情」がうまくでていなかった。光と影の対比の中にこそ「仮面の表情」が浮き彫りされるのだが。
川島氏も相当苦労したとのこと。しかし、いかにも川島氏らしい暖かく包みこむような空気は醸成できていて、感銘を受けた。薩摩琵琶と篠笛が左右で演奏されたが、篠笛の人は素人で即席の練習しかできなかったいうことだ。この芝居には篠笛がよく似合うはずなのにあまり効果を出せていないなと思っていたが、素人とわかって納得した。
■十分な予算があればいろいろな試みができ、さらによくなるに違いにない。「今回は一歩を踏み出したということで、その点でも意義のある舞台だった」と申し上げた。来年は同じ時期に江戸川区で上演する予定だという。どう発展させていくか楽しみである。
終わって小田急線で下北沢までいき、川島氏ほか関係者とビールなどを飲みつつ歓談。比較的若い人がボランティアで手伝っていて、やや希望をもてた。
■帰宅してテープにとっておいた『太陽通り』を聴いた。脚本の段階でもずいぶん削ったし、さらに収録後も長いということで削った。そのため、うまく内容の味が伝わるかなと一抹の不安もあったのだが、演出の小林氏がうまく処理してくれたので、映像が浮かび、悪くないできであったと思った。
最初、脚本に書いた通りにやると、おそらく70分か80分の作になったかと思う。その長さであったら、さらに面白いものになり微妙な味がでたであろうが、50分の枠なので仕方がない。ラジオドラマ化向きでない「むずかしい」原作であったが、メールでの反響なども、まずまずで、ほっとしました。小林氏ほか関係者のみなさん、ご苦労さまでした。