時間の経過が早すぎる
2006年 09月 28日
■脚本アーカイブズの会議に出る。司会を担当し4時間休みなしのぶっ続けの会議だったので、寝不足でもあり疲れた。しかし、成果はあったものと思う。
そのあと雑談したりするうち、時間がすぎ、結局、一日ほとんど仕事にならなかった。全員がボランティアで、それぞれ書く仕事をもっているので、いろいろな悩みがある。ただ、対外的に接する相手は給料をもらったりしている人なので、それなりの対応をしなければならない。ふつうであったら専任の職員を事務局として数人おいてやるべき「事業」である。ボランティアだけではどこまでできるか――いずれ専任スタッフをおく必要がでてくるだろう。その費用をどう捻出するか。むずかしい問題である。
■本日送るべき原稿のことを忘れていた。しかし、もう体力の限界。
明日は8時半には家を出なければならないので、7時前に起きて「短期集中」で書くしかない。睡眠薬を飲んでもすぐ眠れるわけではないので、さてどうなりますか。
■パソコンで書き、メールで送るからできる芸当なのだが、昔のように手渡しや郵送の時代のほうがよかったという気がする。世の中の歩みがもっとゆったりしていたし、物質的には貧乏でも、それで不幸になることはなかった。日々を生きるのに、お金がそれほどかからなかった。昔インドネシアからきた観光団がいっていた。「日本に住みたくない。物はたくさんがあるけど、お金がかかりすぎて、あくせく働かなければならない。そういう国に住みたくない」
彼らはとっても大事なことを指摘していたのだが、日本人はそんな声を馬鹿にして聞き入れなかった。今こそ真摯に受け止める必要があるのではないか。