地雷撤去作業の背後にこんなことが
2006年 10月 06日
■一日中雨だった。築地で『論座』の編集者と打ち合わせ。あの界隈にいくのも久しぶりだが、ずいぶん変わった。そのあとすぐ神保町にある学士会館に。「ビジネス21」の定例の集まり。半年ぶりに開催するそうだ。主催している立教大福田教授が本の執筆などで忙しかったので、時間の余裕がなかったそうだ。
彼と拙著『北京の檻』を交換。
■講師は元自衛隊員で、現在、カンボジアやアフガニスタンで地雷や不発弾の撤去を行うNGO団体を主催している西本さん。そのあと北朝鮮情勢について。西本さんは過日、テレビにもでて北朝鮮のミサイル発射問題についてコメントしたとのこと。
カンボジアでは主に現地の女性を使って地雷撤去を行っているそうだ。エイズから彼女らを守るためだという。日本人一人のボランティア費用で現地人15人ほど雇えるそうだ。現地での雇用の創出も大きな柱であるとはじめて知った。農村で食えなくなった女性が都会にいくと、売春するほか生計の手段がない。結果としてエイズになってしまう。
地雷撤去の背後にはそんな事情もあるである。外務省のODAから支援金が出ているという。
■世の中、一方向から見ていたのでは、わからないことが多い。後ろから横から、上から、さらに下から見ると、ちがった光景が見えてくる。
今のテレビは多方面から見ることをあまりしていない。だからこそ、活字、それも著者が長い時間をかけて調べたり思考したりした結果の集積である書籍を読むことの意味がある。もちろん、本だけ読んでいればいいというわけではないが。
いろいろと情報入手の手段は多様になってきているものの、本でしか手にはいらない情報や思考の経路――といったものがある。
ものを考えるということは、言語で考えているのである。はじめに言葉ありき。最近、このことを忘れている人が多すぎるという気がする。マスコミ関係者の中にも。