コラム


by katorishu
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出色の映画、『ゆれる』

 10月6日(金)
■映画『ゆれる』を渋谷のアミューズCQNで見た。若手の女性、西川美和のオリジナル脚本・監督作品。この監督の第一作『蛇イチゴ』をたまたま三軒茶屋の古い映画館で見て、感心したことを覚えている。詐欺師の兄とまじめな妹の相克をコミカルなタッチで描いたものだが、細部の描き方が巧みで、強く印象に残った。そのときは監督が30代の若い人とは思っていなかった。

■第二作目の『ゆれる』はすでに高い評判をえて、雑誌や週刊誌などでも西川美和のことがとりあげられている。彼女は早稲田の文学部出身で『誰も知らない』を監督した、テレビマンユニオンの是枝裕和監督の現場で汗水たらして映画作りを学んだとのこと。
 都会に出てカメラマンとして成功している弟(オダギリジョー)と田舎に残ってガソリンスタンドをやっている地味な兄(香川照之)の間の微妙な心のゆれを、心憎いまでに巧みに描いている。兄のところで働いている若い女性、智恵子に、ふっと興味を抱いた遊び人の弟は、彼女を誘い彼女のアパートで関係を結ぶ。どうも智恵子に対して兄は好意を抱いていた。が、口べたでシャイ、不器用な兄は自分の気持ちを表にだせない。一方の弟は、彼女に恋情を抱いたわけではなく、一夜の戯れだった……。

■渓谷で智恵子は弟と性的関係をもったことで心境が変化し、東京へ行くという。兄は知ってか知らずか、早い流れのなかで、一人はしゃいでいる。
 そのあと、渓谷にかかる危なっかしい吊り橋で智恵子は落下し死んでしまう。落ちる直前、千恵子と兄が争った形跡があり、やがて兄は「殺人犯」として逮捕、起訴される。
 兄の弁護を、弟は東京で開業している叔父の弁護士に頼む。果たして兄は智恵子を突き落としたのか、あるいは事故なのか……。映画のかなりのシーンは、法廷での兄と弟の心理的な「ゆれ」に絞られていく。

■接見室での、弟のオダギリジョーに対する兄の香川照之の、演技は出色である。映画、テレビで地味ながら着実に成長している香川の中でも、最高の演技であったと思う。(ぼくの見た範囲であるが)。
 これは西川の才能だろうが、会話のもっていきかたがじつにうまい。心地よいほど大胆な省略、台詞の間、役者の表情などのとらえかた――等々どれをとっても西川美和という監督のなみなみならない力量が伺えた。
 日本映画にもこういう若手監督が登場したか、と心強く思ったことだった。過日、テレビマンユニオンの今野勉氏から直接聞いたことだが、「テレビ創成期の熱気は今や映画界にある。そのため有為な才能がこちらにきている。今のテレビは駄目」とのこと。西川美和監督などを意識しての発言だと、あらためて思った。

■西川美和監督は1974年生まれで、『ゆれる』は4年ぶりのオリジナル長編映画作品。師匠の是枝監督も1962年と若い。60年代から70年代生まれの人たちの中から、映画に限らず新しい才能が続々出てきている気がする。
 その前の「団塊の世代」を中心にした世代は、私見では「イデオロギー」の薄膜におおわれ、その中から物事を見ているような気がする。同年代で比較的、優秀な人ほど、学生運動などに走ったり、「マルクス主義」の目で世の中を見る傾向が強かった。若いときに脳の奥にしみついた「記憶」はそう簡単に消えていくものではない。そのため、人やもの、出来事を見る目に「くもり」が生じがちだ。物事を「あるがままに」見ることができにくいのである。自分では客観的に見ているつもりでも、脳の奥低に記憶された「価値観」が無意識のうちにも働いて、ある観点、史観からしか見られなくなっている人が多い。「拝金教」という史観もはいっている。

■その点、今の30代、40代は、比較的そういう観点、史観から自由なので、いい仕事ができるのかと思う。もっとも、いい仕事をなしとげる人は、いつの時代もそうであるように、ごく一握りで、全体となると、ぼくにいわせれば本を読まないために知力が劣化し、言語表現能力も低下し、金太郎飴のような発想の「類型人間」になっている。
 西川美和はそういう若者から、はるかに突き抜けて、人間存在の不可思議さを透視している。家族というもの、兄弟というものもつ、複雑微妙なものが、よくわかっているのだとう思う。「家庭的」という言葉がよく使われるが、そういうものが錯覚であることを、K・チェスタートンはこう指摘している。
「家庭はいいものである。たしかにそのとおりだ。しかし、家庭には平和があり安らぎがるから家庭はいい、と考えるのなら、それは間違っている。家庭には平和もなければ安らぎもない。だからこそ家庭はすばらしいものなのだ」
 チェスタートン一流の皮肉と諧謔をこめた言葉だが、西川監督はこんな言葉の奥深い意味を、あの若さで十二分に知っている。 
by katorishu | 2006-10-07 16:31