線路内に立ち入る人(飛び込み自殺)が増えている
2006年 10月 26日
■都内での話だが、山手線などの電車に乗っていて「××駅で人が線路内にはいったため遅れています」というアナウンスがじつに多い。本日も駅でそんなアナウンスがあった。前回、電車に乗ったときもそうだった。婉曲な表現を使っているものの、ほとんどは飛び込み自殺である。(中には酔って落ちたりする人もいるが)。昔から飛び込み自殺はあったが、最近ほど多くはなかった。飛び込み件数を警視庁などで調べたわけではなく、あくまでぼく自身の実感だが、ここ数年、増加傾向にあるようだ。
■特に今年は「人が線路内に入ったため」電車が遅延するケースが多い。翌日の新聞などで「飛び込み自殺」と報道される。最近はあまりに頻繁に起こるので、よほど長い時間の遅れがでない限り、マスコミでも報道しないのかもしれない。
来年、自殺者数が発表されるが、3万人を超えることは間違いなさそうだ。
■本日、東京は雲ひとつない快晴の秋空だった。普通、こんな天気の日は、身も心も弾むものだが、こんな日に限って自殺したくなるのかもしれない。そういえば、雨の日に電車に飛び込み自殺をしたケースを耳にしたことはない。快晴の日に多いという気がする。
自殺をする人は、他人が幸せに見えるときこそ、かえって落ち込むのかもしれない。自殺の原因は多様で、一人の自殺についても理由はひとつではなく、いろいろな要素が重なっているはず。その中に、経済的苦境が原因で自殺に至るケースも多いのではないか。
■ところで、小中学校の生徒の自殺について、文部科学省の発表した数と警察庁の発表した数に倍ほどの開きがあるという。警察庁の発表のほうが多いのである。
悪い噂が流れるのを防ぐため、学校側では自殺を病死などとするケースもあるのだと思う。精神的に生来、過剰に過敏で、普通に生きることがむずかしい人が一定数おり、その中で自殺を選ぶ人もいるだろう。不治の病に苦しみ、苦しみから逃れるため死を選ぶ人もいる。一方で、経済的に追いつめられたり、自らが命を絶つことで保険金などで周囲を救うケースもある。心身共に正常な人間が、苦しみの果てに死を選ぶケースが、バブル崩壊後の日本社会では増加している。死はどんな死でも痛ましいが、壮健な人が経済的に追いつめられて死を選ぶケースは、ことさら痛ましい。このケースについては、圧倒的に男性が多いということも特徴的である。
■午後から、北千住で脚本アーカイブズの会議。終わって北千住の繁華街でアーカイブズの委員諸氏と軽く飲食。帰路、電車の中で本を読みながら眠ってしまった。眠っていても、ものを盗まれたりすることはない。深夜に町を歩いても、強盗などにあうことも、ぼくに限っては過去に一度もない。置き引きやスリにもあったこともない。犯罪が多くなったとはいえ、まだまだ日本の治安は世界的にみて良好というべきだろう。
これは日本が世界に誇って良いことである。現在の日本について不満をいえばきりがないが、治安の良さは美点のひとつである。そうして日本語の豊かな表現力。このふたつだけでもこれ以上低下しないで欲しいのだが、残念ながら年々、悪くなっていっている。