北朝鮮、「6カ国協議」への復帰でも核開発はやめない
2006年 11月 01日
■今年もあと2ヶ月となってしまった。予定通りにいかないことだらけですが、ま、それが浮き世のならいなのでしょう。浮き世とは憂き世とも書きます。
以前書いた200枚の小説を300枚にして欲しいとの版元からの要請で、この半月、ほかの諸々の雑事や仕事等をやりつつ作業をつづけ睡眠を削ったりして、一応の完成。
ほとんどは喫茶店での作業だった。
■某社の文庫書き下ろしで出る予定。若い女性向きのシリーズで、主人公は23歳の医学部の女子学生。太宰治の短編「女生徒」の文体に以前から注目しており、そこから文体上のヒントを得て書いた。「女生徒」はリズムのある語り口調で若い女性の微妙な心理をたくみについており、読んだとき感嘆した。うまいなアというのが実感で、日本語の微妙な表現に深く通じた作家だと改めて思ったことだった。
当時は自然主義の「クソ・リアリズム」が全盛で、正直いって文芸誌などに載る小説はあまり面白くないなと思っていたので、太宰の語り口調のこの短編は衝撃だった。
■この作、ペンネームで出そうと思っていたのですが、「香取俊介」にしようと思います。版元には他のペンネームでと伝えてありますが、本日、ほぼ改稿を終わった段階で、香取俊介でだしたほうがいいと思ったことでした。(まだ一部推敲の余地がありますが)
作家の多くがそうだと思いますが、心の深部にどこか「女性」の部分がはいっています。男であるのに、どこか女の目で、やや意地悪に男を見ているのです。逆に「女性作家」には男の部分が過剰にあります。
■また、女優という職業の人の中には「男性」がはいっている。これも業界の常識です。こういう「逆転」の部分をもたない「作家」も「女優」も、ぼくはあまり高く評価しません。ぼく自身、正直いって、「若い女性」(やや内気で、それ故繊細で傷つきやすい女性)のモノローグが一番書きやすいし、書いていて「手について」くるという気がします。結果として出来上がった作の善し悪しは別ですが。
■そもそも、「現実社会」に強い不満ももたず、「みんな同じ」の社会に強い違和を覚えなければ、人はそもそも小説など書こうとはしない。戯曲や映画などでも同じことです。「創作」の根底にあるのは、現実社会との、どうしようもない違和感です。疎外感という言葉がひところはやりましたが、あれとはちょっと違います。
■市民運動、政治運動などで「改善」「改革」できるものとは決定的に違うのです。人間存在に対する、どうしようもない違和感、不可解さ、その結果抱く面妖さ、不調和……等々です。子供のころから強く感じていたことで、恐らく、現在、「不登校」などで家に引きこもっている人の中には、同じ違和感をもっている人が少なからずいるはずです。
■そんな違和感を抱くことは大事なことだし、それを努力してなんらかの「形」にするよう心がけるといいです。プロにはそう簡単になれるものではありませんが、努力を続ける中から何かが生まれるはず。
今度の小説の主人公も、社会との違和感になやむ医師志望の娘の物語です。大人と子供の中間に位置する中学生の少年との、微妙な感情の交換、さらには奇妙な「性愛」にふれた内容です。タイトルは『愛をください』。エンターテインメント小説ですが、作者の思いをヒロインに託しました。
来年になると思いますが、発売日など決まりましたら、ここに紹介します。『北京の檻』などの硬派のノンフィクションとはまた違った「感動」をもたらすはず……と、前宣伝をさせていただきます。
■北朝鮮が六カ国協議への参加を表明したとか。それだけ北が経済的に追いつめられている証拠である。しかし、核開発を放棄することについてはあまり期待できない。核兵器は北朝鮮にとっての「最後のよりどころ」であるし、これの放棄は政権の崩壊につながるので、やめるはずもない。一時的に「凍結」することで「見返り」を要求するのではないか。言論の自由もなく、外部と途絶され、「先軍政治」とかいって軍事力をバックにした強権の支配する社会。こういう独裁政権は一日でも早く退陣願いたいものだが、疲弊した内部から打倒の声があがるかどうか。核開発をやめれば、金政権は崩壊に向かう。したがって、とにかく核兵器開発をやめさせることが最大のポイントですね。話し合いに応じるということは、一定の評価もできるのだが――。