コラム


by katorishu
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文化の日・方言は立派な文化です

 11月3日(金)
■文化の日である。サラリーマンや公務員は「休日」だが、ずっと「毎日が日曜日」の生活をしているので、祝日といっても生活に変わりがない。「毎日が日曜日」といっても遊んで暮らしているわけではなく、時間の使い方、配分が相当程度「自由」という意味である。物書き稼業にかんしては「年中無休」で、起きているときは基本的に「仕事」といっていいかと思います。

■徒歩10分のところにある品川区立図書館にいき、日本芸能史や「活動」関連の図書を借りる。「活動」とは「活動映画」のことであり、戦前はそう呼ぶ人が多かった。明治生まれのぼくの祖父など、昭和30年代になっても「映画」とはいわず「活動」といっていた。バンドのことを「帯革」といっていました。「国鉄」のことは「省線」といってましたね。
 現在、「国鉄」は民営化され「JR」などと本来の日本語でないものが常用されているが、ひところ「E電」などという妙な言い方もあった。あれは消えてホッとしましたが。

■外来の文化、風俗をどん欲にとりこむのもいいが、あまりに無節操すぎます。テレビなどを見ていると、ここは一体どこの国?と思われる横文字、カタカナ文字や表記が氾濫している。
 概して欧米の文化の猿まねが目立つ。明治以来、政府が積極的に「欧化政策」をうちだしたことも影響しているのだろう。科学文明のレベルでは、たしかに欧米が進んでいたので、これに追いつこうと懸命に努力をしたのはわかるが。追いついた現在も、なお欧米コンプレックスはむしろ強まっている。

■どうして日本人はこうも欧米の文化、風俗に弱いのか。国歌斉唱、国旗掲揚を教育の場で強要したり国粋的なことをのたまう政治家までが、カタカナ語を過剰につかう。ちゃんとした日本語があるのに、英語の「単語」を口にしたほうがカッコウいいと思っているのだろうか。役所などの文書も、この傾向が顕著で、やたらと「コンプライアンス」とか「ディシジョン」とかいったりする。

■一国の文化とは、その国の「国語」に凝縮されているものである。固有の文化を大事にするということは、固有の言葉を大事にすることにつながる。
 地方にはその地方独特の「方言」があったのだが、これは「標準語」とやらによって駆逐され、今や関西弁をのぞくと、絶滅寸前になっている。
 ある年齢以上の人は堂々と方言を使っているが、若い人は使わないですね。方言を駆使でき、なおかつ標準語を駆使するというのは、それだけで豊かな表現をもっていることなのに、方言を使うと「笑われる」「カッコ悪い」と思っているのかどうか。なかなか使いませんね。
 方言は、その土地固有の「文化」であるのです。大事にして欲しいものです。ぼくなど、方言を使って話す人は、それだけで敬意を表したくなります。

■テレビのニュースなど、ローカル放送はアナウンサーが方言で伝えるといいと思っていて、放送関係者に何度もいった覚えがあるのですが、一笑にふされただけでした。
 文化の日なのですから、方言を使える人は錆び付かないようなるべく方言を使って欲しいもの。なにもかも金太郎飴のようになって画一化が進み「ローカルカラー」が失われるなか、方言によって「ローカルカラー」を蘇生させたいもの、と思ったことだった。方言は立派な文化です。
by katorishu | 2006-11-04 00:51