コラム


by katorishu
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 「映像の世紀」を見て人類の愚行について考える

 11月11日(土)
■東京は一日中、雨。相変わらず眠りは浅く、布団の中で本を読んだり眠ったり、また起きて本をよんだりで、結局、映画関係の本を1冊読んでしまった。その間、ヘンな夢を見た。細部は忘れてしまったが、どうも北朝鮮の金正日総書記の「別荘」のようなところにいて、自分は身分を隠して恐らく取材かなにかをしていたようだ。田舎のオッサンという感じの腹ボコの金総書記がでてきて雑談したり、彼の家族とも食事をしたりした。やがて身元がバレそうになり、追及される。身の危険をおぼえ海に飛び込み逃げようとすると機関銃でうたれた。ぼくは水泳が苦手だし、このまま溺れるか、あるいは撃たれるか。これで一巻の終わりかと焦りに焦ったところで目がさめた。

■場所は別荘というより、日本の田舎の普通の家という感じであった。なぜこんな夢を見たのかわからない。寝床で北朝鮮の核実験関係に触れた雑誌の論文を拾い読みしていたので、あるいはその関連かもしれない。最近、トイレが近くなっているが、「海」に飛び込むこととつながりがあるのかどうか。
 夢というのは妙なものだ。科学的に解明されたわけではなく、研究者の間でも諸説がある。潜在意識の反映という説と、脈絡もなく脳に記憶されたものを眠っている間に「整理」するプロセスで現れる説……等々。本日見た夢など、割に「リアル」で、それほど脈絡もない奇想天外というわけでもないが。普段は思いつきもしないことが「絵」となって登場し、臨場感がある。

■起きてケーブルテレビをつけると、ヒストリーチャンネルで「映像の世紀」を放送していた。1996年NHKスペシャルで7,8回にわたって放送された番組で、断片的に見ていたが、続けてみた。1回の途中から見たところ、面白く5回まで見てしまった。20世紀の世界を残された映像フィルムでつづったもので、アメリカのABCとの共同制作である。2回目は第一次世界大戦の巻で、1914年、当初、馬と大砲ではじまった19世紀スタイルの戦争が、数年で戦車や飛行機、毒ガスなどが登場する近代戦、総力戦にかわっていくプロセスをわかりやすく伝えていた。

■戦争というものが、科学文明を急速にし発展させる原動力であることがよくわかる。同時に、戦争が社会の大きな変革、革命などの原動力なるということも。
 第一次大戦の後半、アメリカも参戦するのだが、砲弾運びなどに黒人も大量に動員される。これがアメリカでの黒人の地位に影響をあたえる。戦意を鼓舞し、慰めをあたえるために演じられたかれらのジャズ演奏は、ヨーロッパ戦線、とくにフランスで好評だった。そして、戦後のアメリカ国内でのジャズブームにつながっていく。ヨーロッパから帰国したアメリかの若者は、既存のモラルからも「解放」され、現実主義的、享楽主義的傾向を強め、今に通じる「アメリカ色」と強めていく。女性の参政権も戦後のもたらした成果であり、根底には戦争がある。
 
■第一次大戦は当初、数週間で終わると見られていたが、結局、4年間も続き、900万人の兵士が死亡し、2000万もの負傷者をだした。戦争とは人間の膨大な愚行の集積である。この大戦で人類社会は戦争に懲り懲りしたはずなのに、それから20数年でさらに巨大な破壊をもたらす第二次世界大戦につきすすんでいく。
 アメリカの大衆文化の隆盛と、その光と影、さらに株のバブルをへて大恐慌におちいり、ナチスの登場……というのが世界史の流れだが、20世紀の「愚行」の軌跡をたどるには、「映像の世紀」は手頃な作品であり、繰り返し放送して欲しいものだ。

■中学生や高校生など必見の番組だと思うのだが、彼らのうち恐らくこの種の番組を見るのはごく少数派なのだろう。時代を切り開いていくのは、いつもそういう「少数派」だが、こういう映像に触発され、歴史に興味を抱く人が一人でも多くなれば、「愚行への歩み」の対してブレーキともなるのですが。

■加古隆の格調のある音楽と山根基世アナの落ち着いた語りは、印象に残る。よく出来た番組といえるが、ただ、「生き残った」映像だけでつづったので、抜け落ちたものも多い。映像として記録されなかった事件、事柄は膨大で、そこにこそ「歴史」があるはず。やはり歴史の叙述の柱は活字である、とあらためて思った。活字で刻み込むようにたどっていかないと、歴史の真実にはなかなか近づけない。

■「映像の世紀」を見て、現代史に興味をもった若者が、さらに歴史書や個人の歴史、個別の歴史事象、戦史、文化史、社会史等々を読むようになるといいのだが。歴史は、ある意味で人間の「愚行の積み重ね」であるし、どうもこれが人間の宿痾(しゅくあ)、つまり「万物の霊長」である人間にどうしようもなく備わっている特性、と思いたくなる。だからこそ宗教という「是正措置」があるのだろうが、その宗教がまた問題をかかえており、かえって愚行を培養させているようでもある。もちろん自分も含めてだが、人類とは、まことに厄介で困った存在である。
by katorishu | 2006-11-11 23:49