コラム


by katorishu
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政治と金とインターネット

10月19日(火)
 日本歯科医師連盟からの自民党への「献金」が疑惑を呼んでいる。
 田中角栄型利権政治はいい加減終わりに……とはかない期待を抱いているが、相も変わらず「賄賂政治」が横行している。政治腐敗をなくすため、政党助成金などができ、政治資金規正法も改正された。なのに、またぞろ、「献金」という名の賄賂が送られ、政治を金力でねじまげようとした。この罪は重い。さらに罪の上塗りをするように、元総理までがからんでスキャンダルを握りつぶそうとしている。
 連盟の会長が逮捕されたことでもわかるように、これは自民党の関係者がどう言いつくろうと「賄賂」である。これを「賄賂」と言わなかったら、なにを賄賂というのか。
 政治や権力に「賄賂」はつきもので、「売春」と同じく、人類社会ができたころより生まれた古い「慣行」なのかもしれない。他の国でも、賄賂、汚職は絶えないが、「先進国」と称する中では、日本は「賄賂度」といったものが、かなり上位にある国だろう。

 外見がどんなに立派で華やかそうに見えても、賄賂が横行している国は「後進国」というべきである。政治権力が強くマスコミなどの批判が弱い国では、実質的に賄賂が横行していても、これを摘発できない。従って「我が国は汚職などほとんどない」とうそぶいている言論統制国家も、なきにしもあらずである。そんな国よりすこしはマシではあるが、いやはやという感じである。
 1億円といえば気の遠くなるような大金である。それを料亭などで無造作に受け取り、受け取った記憶がないという感覚。それで国民を納得させられると彼らは思っているのだろうか。まして日本の総理経験者である。

 長年、永田町に住み、権力のうまみを知ってしまうと、感覚がどこか麻痺してしまうのだろう。脳が一部壊れているのである。受け取りのとき、同席していたとされる野中元幹事長には、ぜひとも記者会見でも開いて「申し開き」をしてもらいたい。自民党議員の中では比較的、骨があり、日頃から「弱者の味方」や「正義」を口にしている人で、ぼくはそれなりに評価のできる人だと密かに思っていた。
 被差別部落出身であることも公言し、現在の日本について強い危機感を表明している人である。雑誌等のインタビューや人物評などを読む限り、それなりの「人物」であり、「策士」であり「壮士」の趣がある。こういうときこそ、勇気をだして、真相解明に力を発揮するべきである。このまま口を閉じてしまったら、「やっぱり、お前もか」になってしまう。
 
 こんな政治風土にしてしまった主な原因は選挙民にある。人に頼まれたから投票する。ご馳走になったから、就職のお世話になったから、仕方がない、あの人に……といった「事情」で投票する人がいかに数多いことか。
 そんな政治風土を見ていると、日本はまだまだ封建時代の残滓をひきずる「後進国」としか言いようがない。じっさい、旧態依然とした、もちつもたれつの「村社会」の論理は今も根強く生き残っている。
 もちろん、人間同士、「もちつもたれつ、あい助け合って」生きることは悪いことではない。しかし、そこに「利権」という虫がはびこると、これはもう「民主主義」を阻害する何ものでもない。政治に限らず、ビジネスやマスコミ、芸能、スポーツにまで、この体質は根付いているので、変えるのは容易ではないが、この悪しき「しがらみ」から抜け出さないと、日本はあらゆる面で劣化していくだろう。

 悪しき風土を変えていく上で、一番力を発揮しそうなのはインターネットである。
 インターネットの「害」はもちろん数々あるが、利点もある。なにより個からの情報発信が、安く手軽に出来ることである。しかも、流される情報は世界につながっている。
 インターネットが一般に普及したのは、ウインドウズ95が1995年に出現してからである。それからまだ10年もたっていないが、人々の通信手段は画期的に変わりつつある。もしかしてこれは、グーテンベルグが活版印刷を発明したことを上回る、革命的な出来事かもしれない。
 金のかからない、透明性のある政治は、おそらくインターネットから生まれるのだろう。
 今はインターネットは交通法規のないところに車があふれ出たような状況だが、やがてルールも定着し、試行錯誤を繰り返しながら、不具合やマイナス面も改善されていくにちがいない。

 日本でもブロードバンドがもっと普及すれば、「悪しき伝統」も次第に改善されていくだろう。ただ、ここに問題がある。「悪しき伝統」が駆逐されるのは大変結構なのだが、同時にインターネットの普及は「良き伝統」まで根こそぎ破壊しかねない。
 こうなっては元も子もない。インターネットに過度に依存することは危険である。インターネットは、究極の「ブロード・キャスティング」かもしれない。(ブロードは「広く」、キャスティングは「投げる」、つまり放送など広く多数に伝達するメディア。後述のナローは「狭く」である)

 これが一方の輪であるとすれば、もう一つの輪は、「ナローキャスティング」である。「寄席」や「銭湯」などにある五感を通じて人間と人間がつながる「ナローキャスティング」。これが欠落し、ブロードキャスティングばかりが普及することは、機能的な社会になるかもしれないが、一人一人の人間にとっては、索漠とした世界でしかない。
 国家や組織が栄えて人滅ぶ、では本末転倒もいいところである。ナローキャスティングを捨てさるか。これを維持しつつ、インターネットを普及させるか。今、日本は大きな岐路に立っている。
by katorishu | 2004-10-19 03:32