同窓会、青春は遠くになりにけり
2006年 11月 24日
■大学のクラスの同窓会が新宿のロシア料理店で行われた。東京外語のロシア科に昭和37年入学の人達である。当時は授業料が年間9000円で比較的安かったので、4年で卒業するのはもったいないという空気があった。で、40人のクラスで4年間で卒業したのは10人ちょっとではなかったか。1年から2年にあがる試験で、遠慮会釈なく落とされたということもあるが。5年在籍は当たり前で、6年から8年くらい在籍していた学生も少なからずいた。女学生は少なく、本日出席した18員のうち4人。
■良き古き時代であったかもしれない。ロシア語専攻であったので、時代を反映して社会主義に理想をもとめて入学してきた人とロシア文学に興味をもって入ってきたひとがいた。両者の割合は半々であったかと思う。当時、東京外語は「二期校」といって「一期校」に遅れて入学試験があり、一期校の滑り止めという位置づけでもあった。一期校の人気の大学といったら東大である。そのため、かなりの学生が東大を落ちた人で、多少屈折したものをもっていた。(今から考えればどうってこともないが)
■ただ、当時は今よりずっと学歴社会の趣が強く、就職試験の際も、いわゆる「一流企業」では10数校だけに受験生を指定してきたりした。外語もその中にはいっていた。下駄をはかせてもらっていたのである。学校によって給料が違った戦前ほどひどくはなかったが。
当時から、「硬派」が7,8割で「軟派」が2,3割。硬派の生徒は教師になったり銀行や商社マンになった人が多い。一方、ぼくも含めた軟派系はマスコミにいったり、「フリーター」のような生活を送ってきた。(当時、フリーターなどという言葉はなかったが)
■60数年生きてくると、それぞれが固有の「歴史」をもっている。ぼくはどうしても、「作家的好奇心」が働いて、いろいろ質問する羽目になる。共同通信の客員論説委員をしているH君から、「香取のノンフィクションの材料になりそうな人がいる」との情報。台湾出身の女性で、戦中、戦後、有為転変の人生を送ってきたという。異文化摩擦を身をもって生きた人が、ぼくのテーマであり、ぴったり当てはまる。近々、取材をするかもしれない。
■高校の教師をしていた人が二人いたが、女性教師から、生徒の質が年々低下していると聞いた。基礎学力も低下しているし、モラルの荒廃も著しいとのこと。どこかで日本は「間違って」しまったのではないか。「村社会・日本」は今後、衰亡の道をたどるに違いない。その点で多くの人と意見が一致した。
■帰宅してBBCを見ると、イラクでの自爆テロで130人が死亡したという。アメリカ軍兵士の死者も増えている。すでに内戦である。かといって、ここまで混乱が進むと、アメリカ軍が引き揚げると、一層の混乱に陥るだろう。残るも地獄、退くも地獄である。ブッシュ政権はとんでもないことをしでかしたものだ、とつくづく思う。世界の超大国がこのテイタラクである。すでに人類は末期症状にあると考えたほうがいいだろう。