コラム


by katorishu
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富士正晴『大河内傳次郎』で寝不足 

 11月24日(金)
■昨夜、アルコールがはいっているので、仕事にならず、手元にあった富士正晴著の『大河内傳次郎』を読み始めたところ、あまりに面白く寝床で読み続け、最後まで読んでしまった。最後まで読むと睡眠が不足し、また今日一日の予定が狂ってしまうと思いつつも、結局途中でやめられなかった。「女侠」といわれた女優、伏見直江の恋愛模様というより「恋愛事件」はとくに面白く、当時のマスコミでスキャンダラスに報じられた。この一件も含め、伏見直江、信子の人間模様をいずれ書いてみたい思いが募る。

■大河内傳次郎といっても、映画通やある年齢以上の人でないと知らないかもしれない。伊藤大輔監督のサイレント映画、『忠治旅日記』や『丹下左膳』などで一世を風靡した時代劇役者である。ややだみ声の独特の台詞まわしが特徴だった。大河内傳次郎が新国劇、それも沢田正二郎の「第二新国劇」の出身であることを初めて知った。
 伏見直江は大河内の相手役で、キレのいい啖呵や思いっきりのいい芝居で人気を得た。昭和初年の映画界のトップスター同士の「恋」だった。

■大河内傳次郎といえば京都の広大な土地をもつ私邸「大河内庭園」が有名で現在、一般に開放されている。ぼくも一度、はいってことがあるが、個人の邸宅としてはその広さに圧倒される。小高い丘ひとつがまるまる敷地で、この邸宅を見れば大変な「成功者」と思われるかもしれないが、希代のスターといっても他人にはなかなかうかがいしれない深い悩みをかかえており、自ら寂しい人生であることを何度も書簡などで吐露している。
 中津藩の儒者の家系で当時の多くの芸人の中では例外的にインテリ家庭の出であり、加えて家庭の事情から母親に溺愛され、とにかく母の意向にさからえない人だった。それと仏教に深く帰依し、「自分から母と仏をひいたら何も残らない」と公言していた異色の役者だった。

■一方の伏見直江は旗本直参の出でありながら、父親がドサまわりの芝居にいれこみ、一家ともども芝居小屋で暮らし、物心ついたころより「男の子」として舞台に立ち、おかげで学校にもいけず、文字が読めないまま大きくなった。父の死後、住む家を追い出され母と幼い妹とともに極貧を味わった。小山内薫のもとにあずけられ、小山内の指導もあって片仮名と数字は読めるようになった。小山内薫が主催する築地小劇場でチェーホフの『三人姉妹』に出たりした。小山内薫は「新劇」の基礎を築いた人で、一時は映画(当時は活動といった)にも興味を見せていた。

■伏見はそれまで台詞は耳で聞いて覚えたという。現在も大衆演劇などでやっている「口立て」である。
 まもなく、チェーホフやイプセンを演ずる新劇の空気になじめず、活動の世界にはいり、大河内傳次郎と組んだ時代劇で、人気が出た。コンビであった大河内傳次郎に迫られ、結局3年間一緒に暮らすが、大河内の母や親戚などから仲をさかれ――その後、有為転変の人生を送り、伏見直江一座を旗揚げし、女剣劇で名を売ったり海外公演も挙行した。しかし、興行主にだまされ海外で数年とどまって働く羽目にもなり、帰国後は女優をやめクラブのママになったりした。ぼくの子供のころ「伏見直江一座」の幟を何度も見た記憶がある。残念ながら芝居を見る機会はなかったが。

■大河内傳次郎も屈折した人生航路をあゆんだが、伏見直江と同じく女優になった妹の展子姉妹の人生はさらにドラマチックで、伝記作家なら取り組んでみたい素材である。
 著者の富士正晴も「いずれ誰かこの姉妹の物語を書いて欲しい」と記している。富士正晴は「隠者」のような生活をしており、本人が取材等で外にでてインタビューをすることなど考えない異色の作家だった。

■作家、富士正晴について、流行作家ではなかったので、知らない人が多いのではないか。すでに故人だが、大阪郊外、茨木市内の竹林に囲まれた「今にも朽ちそうな茅屋」に住んでいた「世捨て人」で、「竹林の隠者」と呼ばれていた。『バイキング』という有名な同人誌を創刊した人で、ここから直木賞作家なども出た。長いこと文学界の同人雑誌評をつづけていたので、昔、純文学雑誌を読んでいた人は記憶にあるかと思う。『桂春団次』などの好著があり、1992年、茨木市に富士正晴記念館ができたという。もっと読まれていい人だが、現在、ほとんどの本は絶版になっており、図書館でしか読むことが出来ない。

■よく功成り名遂げた人が「自伝」を発行したりするが、その類の本で面白かったタメシがない。比較的裕福な家にうまれたり、多少「名門」の家に生まれた人間が、縁者の死や時代の変転で没落し、浮き沈みの激しい人生を送る。本人は懸命に、自分にも他人にも「良かれ」と思って努力をする。それが、何の因果か、マイナスにマイナスにと働き、奈落の底を見る羽目になる。それでもなお、生きようと努力する。が、むくわれない。そんな人の伝記には人生の哀感が漂い、面白く、人生についていろいろ考えさせてくれる。(ビジネス書の大半がつまらないのは、『成功物語』のオンパレードだからである)

■ぼくは関東の人間だが(係累もほとんどが関東)、大阪在住の作家のほうに、より強い共感を抱いている。「上昇志向」の強い人は一般的に東京に集まってき、そういう人が「成功者」になる率が高い。一方、関西の作家はもともと地つきの人が多く、「他をけ落としても自分が」という人は比較的少ないのではないか。最近の作家や文化人については知らないが、ひところまで関西の作家等はそれだけ粋な人が多かったという気がする。最近特に「上昇志向」「成功志向」「金持ち志向」の人間が嫌いになっている。彼らには粋や鷹揚さが欠けている。欠けているからこそ「成功」したのだろうが。
by katorishu | 2006-11-24 21:47