コラム


by katorishu
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パチンコ、カラオケに投じられる膨大なカネ

11月25日(土)
■国内で廃棄された年間100万台を超す使用済みパチンコ台が香港に中古品などと偽って輸出され、リサイクル処理不備のため転売先の中国で健康被害を引き起こしている――と新聞で報じていた。それも問題だが、国内で廃棄される使用済みパチンコ台の数が年間約300万台という数に驚いた。業者はどんどん新しい機種に変えないと生き残れないので、そうするのだろうが、なんという資源の無駄づかいか。

■自動式になってからパチンコはやらないので、現在のパチンコ台がどんな仕組みになっていて換金のシステムがどうなっているのかわからない。以前、週刊誌でパチンコ産業の売り上げは自動車産業の売り上げに匹敵すると紹介されていた。大変な産業である。駅前の一等地は以前であったら銀行がしめていたが、バブル崩壊後、合併などで店舗の数がへった。そのあとにパチンコ屋かカラオケ屋がはいっているケースが多い。

■ともに誰でもが楽しめる大衆娯楽で、決して悪いことではないが、これらの産業に投じられるオカネは膨大すぎる。1割でもいいから、本や演劇などにまわって欲しいものだ。読書や演劇は「言葉」を基底においた文化であり、脳髄の働きによく、思考を深める働きをする。一方、前者のふたつは、思考をゆるめる働きをする、とぼくは思っている。知り合いのパチンコファンの話では、今のパチンコはギャンブル性が強く、韓国ドラマの「冬のソナタ」などが台の映像として流れ、ビデオゲームなどと同様、興奮して「のめりこむ」ように仕掛けられているそうだ。つまり中毒になりやすく作られているのである。

■開店直前のパチンコ店の前にはよく若者を中心に数十人が列をつくっている。たぶん、パチンコを「仕事」にして、それで「食って」いるのだろう。一方、カラオケはスポーツに通じるものがあり、肺呼吸を高めるし、ストレス解消になるものの、私見ではカラオケが「ジコチュウ」人間の大量生産に大きく貢献している。それも悪いことではないのだが、こちらに投じられる時間とお金に比べ、本などに投じられる時間やお金が少なすぎる。オカネや時間の使い方がアンバランスすぎるのである。

■この15年ほど、日本人の「知力」が全体的に年々低下している、とよくいわれるが、その最大の原因は「本を読まない」ことだ。いわゆる「活字離れ」である。日本が戦後、「奇跡の成長」をとげたことの背景には「知力」があり、そのもとになったのは「読書」であった。日本人の「読書好き」はこれまで世界でもトップレベルであり、「エコノミック・アニマル」といわれながらも、知力には敬意を払われていたのだが、今はどうなのか。「ルック・ジャパン」などという海外のリーダーもいなくなった。いずれ「パス・ジャパン」になってしまいかねない。(いや、もうなりつつある)

■ぼく自身は、この先それほど長く生きないので、日本は堕ちるところまで堕ちればいい――と思わないこともないが、「しっかりした本」「深く考えさせる本」「目を開かされる本」などが売れず、パチンコやカラオケが盛況――という状況を見ると、情けない思いになる。本日、脚本アーカイブズの会議と勉強会で北千住にいき、そのあとシナリオ講義のため高田馬場にいったが、街で目にする人の人相があまりよろしくない。要するに知的でないのである。日本人はこんなに品のない人種であったかな、と思ってしまった。もちろん「見た目」であるが、人の本質はかなりの程度「見た目」に現れるものである。自分のことはさておき、すれ違う人の多くが醜く見えて仕方がなかった。(ハリウッド映画の『猿の惑星』はじつは日本人をモデルにしたものだが、それを思い出してしまった)本日、睡眠不足もあり、かなり脳が疲れていた。そのせいで、そんなふうに見えたのであればいいのだが――。
by katorishu | 2006-11-26 00:23