コラム


by katorishu
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ひねりがきいているリリー・フランキーのB級日本映画評

 11月26日(日)
■職業がら本をよく買うが、必ずしも資料として買うわけではなく、多くは衝動買いである。本屋に寄り目的の本を買う「ついで」に別の本を買ってしまうことがある。そんなに買い込んで読めるのかといわれるが、確かに読めない。多くの本は「ツンドク(積んでおく)」である。図書館から借りた本は期限がきたら返さなければならず、たいては資料として使うことが多いので、必要な箇所をコピーしたりして返却する。実用の要素が強い。

■一方、自分のお金で買った本は、何年かしてふっと手にとって読むことが多い。昨夜、たまたま文庫の棚から手にとった文庫本はリリー・フランキー著『日本のみなさんさようなら』だった。最近、映画化もされたベストセラー小説『東京タワー』の作者である。ベストセラーはなるべく読まないようにしているが、パラパラとめくると、どうもB級映画評の本のようで、寝床で読み始めた。雑誌『ピア』に毎週一回連載された短い映画評で、独特のユーモアのある文章で、この書き手、なるほど「売れている」ワケがわかった。1963年生まれでイラストレーター、コラムニスト、構成作家などの肩書きがある。

■173本の映画があつかわれていて、新作にかぎったことではなく、数十年前の小津作品などもでてくる。前書きに日本映画が外国映画に比べて厳しい目で見られているとし、理由を「言葉がわかる。役者がわかる。風景がわかる。間がわかる。わかればわかるほど厳しくなる。また、わからなければわからないほど甘くなる」と記している。「自分の妻」と「会ってまもない女性」を比較して、どうしても「自分の妻」に厳しくなるケースを紹介したあと、そう記していて、納得させられる。イラストもいれて見開き2ページの短い評だが、かなり本質をとらえていて、ユーモアがある。

■映像に関係してきた人間にしては、ぼくはあまり映画を見ていないと思っていたが、リリー・フランキーがとりあげている作品の4分の1ほどは見ていることに気づいた。今村監督の『ええじゃないか』や伊丹監督の『お葬式』、中原俊監督の『櫻の園』、原一夫監督の『ゆきゆきて、神軍』、川島徹監督の『竜二』等々。寅さん映画や小津監督作品、今村監督の『復讐するわ我にあり』など「B級映画」としてくくるのはどうかと思うが、結構見ているのだな、と改めて思った。

■「B級映画」であるからこそ見ているのかもしれない、と思った。ぼくの中の「ささやかな反骨精神」なのか、権威をおちょくりたい気分が「基層部分」にある。ついぞ「権威」にも「権力者」にもなれない「コンプレックス」の裏返しかもしれないと内省したりもするが、やはり「権威」や「権力」につきまとう「うさんくささ」が好きになれないのである。

■いずれにしても、本は買っておくものである。この本は自分で買った記憶がないので、カミサンが買ったか誰かからもらったりしたものかもしれないが、置いておけば、いずれ手にとるものである。10数年前に買ったものを、ふと手にとって読みはじめ、やめられなくなることもある。書く作業は決して楽しいものではないが、読むことは面白い。この面白さを知らずに一生をすごしてしまう人が増えているようだが、せっかくこの世に「人」として生を受けたのに「もったいない」ことである。読書は文明化された人間だけが享受できる特権である。しかも他の数多の「特権」と違って、この特権はいくら行使したからといって、他に害をおよぼさないのが、良い。
by katorishu | 2006-11-27 00:13