『北京の檻』のPR
2006年 12月 03日
■拙著『北京の檻』(文藝春秋)の売れ行きは、どうもあまりかんばしくないようだ。自分の本は売れ行きが気になるので、ぼくなりの「定点観測」を行っている。よく足を運ぶ品川駅構内の書店が観察対象である。出た当時、棚に2冊並んでいた。一週間ほどして立ち寄ったときはなくなっていた。まあ、売れたと見るべきだろう。その後、2週間ほどして寄ってみると、また同じ棚に2冊並んでいた。目につくコーナーではないが、乗降客の多い駅の中にある書店である。たちまち売れるのではないかと思ったのだが、これがまったく動かない。
■文化大革命や毛沢東という言葉は、すでに忘却の彼方に沈んでしまったのだろうか。本書は文革のとき無実の罪で北京監獄に5年2ヶ月幽閉された元商社マンの、日中両国のはざまで揺れ動いた人生を跡づけたものです。
■書店の本棚に2冊のまま売れずにおかれ1ヶ月以上が経過したのではないか。昨日、用事で外出したおり、立ち寄ってみるとなくなっていた。売れてなくなったのではなく、その棚の他の本もなくなり新刊本にかわっていたので、「整理」されてしまったにちがいない。ほかにインターネット上のふたつの書店で、店の在庫の数をウエブ上に載せている。ある大手の書店には当初、30冊配本されたようで、4,5冊はすぐに売れたが、それ以降、動きが鈍くなった。この一ヶ月ほどで1冊が売れた程度で、現在、この本の在庫の数は17冊。半分も売れていないということだ。
■売れ行きが悪いと、今後本を出す場合に影響する。テレビの視聴率や劇場の入場者数と同様である。作・演出の芝居をやったことがあるが、初日以降、もっとも気になったのはお客さんがきてくれるるかどうかであった。役者の演技以上にそのことが気になった。
仲間内だけを対象にした「同人雑誌」的なものならともかく、お金をとってイベントを行うのは「プロ」の仕事である。時間とお金を使ってきてくれる「お客」をとにかく満足させて返さなくてはいけない。プロとはそういうものである。
■今年も最後の月にはいってしまった。まだ一年を回顧するのは早いかもしれないが、ぼく個人に限っては、「なんだかなア」という一年であった。予定していたことの三分の一もできなかった。映像、活字の分野で、とにかくぼくのやりたいと思う企画が通らないのが、一番痛い。企画の採択を決める人たちが、ぼくのこれまでの仕事を見て、その延長上で考えるのかどうか、マスに「売れない」と思われてしまうのではないか。
大した文筆家ではないかもしれないが、読んでいただいた人からは「面白い」「感動した」という意見を数多く頂戴している。図書館で借りても結構です、『北京の檻』をお手にとってみてください。本当はこういうことを記すのは、ぼくなりの「ダンディズム」に反するのですが、売れないでさらされている拙著を見ると、わびしいというか悲しい気分になるので、敢えて記しました。苦労して書いた自分の本は、「我が子」でもあるのです。