不眠症について
2006年 12月 04日
■よく横になるとすぐ眠れるという人がいる。1時間だけ睡眠をとるからといって、横になってきっちり一時間眠ることができる人もいる。子供のころから不眠に悩まされてきた人間から見ると、羨ましいというか、「人種が違う」という気がしてしまう。
■日本人の約3割が不眠の悩みをかかえているそうだ。よく眠れる人には不眠症の人間のことは、わかりにくいだろう。熱くなれば汗が出るというのは自然の生理作用であり、誰でもなんの苦労もなく出来る。同じように一定時間起きていれば自然の生理作用として眠くなる。こんな簡単なことがどうして出来ないのか。不眠と無縁の人はそう思うにちがいない。すこしぐらい眠らなくても、たいして差し支えもないではないかと。昨夜、飲み会でそんな話も出た。一見、神経質そうな印象の人が、案外なことに、横になるとぐっすり八時間眠れたりする。
■ぼくはほとんどアレルギー症がないので、ちょっとした食べ物や空気中の花粉などでアレルギー症を発症するひとの悩みは、実感しにくい。
アルコールに強い人は、奈良漬けで酔ってしまう類の、アルコール分解酵素をもっていない人のことはわかりにくいだろう。人はみんな「自分の立場、自分の物差し」で人を見る。ところが、その人の「立場」「物差し」は人によって相当違う。従って、ある人の「当然」「普通」が、ある人にとっては「異常」になってしまう。
■よく不眠の人のことを、なにか強い悩みごとをかかえていのでは……と思う人がいる。そのケースもあるが、とくに深刻な悩みやストレスをかかえていなくても、なかなか眠れないのである。ところで、この社会、まともな神経をもっていたら、悩みもストレスもほとんどないという人は、きわめて稀のはずである。
遺伝的な要素もあるにちがいない。不眠の遺伝子はハンディであるが、床にはいり、眠れずに本を読んだり、一日を反芻して、ああでもないこうでもないと考えたりすることが、一種のシミュレーションの役割を果たすこともある。
■ものを書く人に比較的、不眠症の人が多いのは、うなずけることである。眠れぬまま、ああでもない、こうでもないと考える行為が、創作などに案外役立っているようだ。物事、何が幸いするかわからないものである。少々のハンディをもっていたほうが、それを克服するため、いろいろと努力もするし、打開策をもとめて悪戦苦闘する。その中から、なにか意味あるもの価値あるものが生まれるはず、と思いたい。
■渋谷で仕事の打ち合わせ。来年六月すぎのことである。来年のことをいうと鬼が笑うというが、将棋のように常に何手か先を読み、時代の風を感じ取って対処することも大事なことである。時代はとにかく激変している。五年先がまったく見えてこない。見えないから面白いともいえる。
南米では反米色が一層強まっている。アラブ情勢も混沌としてきた。世界を不安定化させる最大の要因は「富の格差」である。富の偏在、不公平、不公正が、モラルの荒廃をもたらし、犯罪を引き起こし、さらには紛争、戦争の遠因になる。ボーダレス時代にあって、島国・日本も世界の潮流と無縁でいられない。日本は激変が予想される世界とどう対処していくのか。いつまでもアメリカのポチの立場に甘んじていて大丈夫なのか。「お上」まかせでなく、国民ひとりひとりが真剣に考えるときにきていると思うのだが……。