朝日新聞に書評が載ると、やはり売れ行きに影響するようだ
2006年 12月 10日
■風邪はひきはじめの時の処置が肝腎といわれるが、とにかく何も食べずに布団のなかでじっとしていたのが効いたようで、かなり回復した。今年一月の風邪は一ヶ月ほど続いたが、どうやら1日で治る方向に向かったようだ。
『北京の檻』の共著者である鈴木さんの関係で、鈴木さんが兼松を定年後に勤務した創価大学外国部学部の中国語専攻の先生たちが中心になって「出版祝い」をやってくださった。
■宗教色の強い集まりだと厭だなと思ったが、10数人の参加者のほとんどは「非学会員」というこをあとで知った。中野駅で鈴木さんと待ち合わせた。顔を合わせるなり鈴木さんが「朝日新聞の書評に出てますよ」とのこと。本日、新聞を開いていなかったので気づかなかった。見せてもらうと、ノンフィクション・ライターの最相葉月氏が「愛憎半ばする、中国への思いが全編を貫く」とかなり好意的に書いてくれていた。帰宅して「定点観測」をしている大手書店のウエブサイトをのぞくと、在庫数が1日で4冊少なくなっていた。1店だけでそれだけ売れたのである。最近、朝日の書評も効果が減ったと聞いていたが、さすがに「朝日の書評」は威力があると思ったことだった。
■中国の研究者が大半の集まりなので、毛沢東の文化大革命のころのことが当然、話題の中心になる。日本人を父に中国人を母にもつH女史の話は興味深いものだった。彼女の父親は鈴木さんと同じ時期、5年3ヶ月にわたって武漢で幽閉されたとのことで、当時小学6年生であった彼女は大変は苦難を体験した。父親が日本人であることから「スパイ」の子といわれた。「(監獄の)中も辛かったけど、外も同じように辛かった」と涙ながらに語った。
■もうひとりの中国人のR女史は文革の時中学生であったが、彼女の体験したこともおぞましい。ちょっと信じがたいことだが、彼女が「下放」(地方での農作業に強制的に生かされる)された雲南省では妊娠した女性を強制的に堕胎させ、とりだした「赤ちゃん」を煮て食べたようなこともあったという。「死んだ人を煮て食べるんですよ。そういうことがよく行われていました」と淡々と彼女は語った。当時、農村では食糧が逼迫しており、人肉をも食べたと漏れ聞いていたが、現場にいた人からの「証言」を耳にしたのは初めてだった。あまりにも悲惨で、反吐が出そうな出来事である。
■文革がいかに凄惨を極めたひどい政治運動であったか、このひとつのエピソードでもわかるに違いない。当時も今も、文革の本質について中国国内はもちろん日本でもあまり伝えられていない。日中関係については日本軍の暴虐が強調され勝ちだが、文革の時代、毛沢東指導部、とりわけ毛夫人など「4人組」の行ったメチャクチャな政治は、ナチスのホロコーストやスターリンの粛清と並び称される20世紀の「3大暴虐」ともいうべき出来事である。いずれも言論が徹底的に統制されていた社会で起きている。逆に言論の自由があれば、このような悲劇は起きない。改めて言論の自由の大事さを思ったことだった。