忘年会シーズン
2006年 12月 16日
■京橋図書館にいく。場所柄、銀座界隈に関する地域資料は充実しているが、貸し出しできる本はすくない。モダニズムに関する資料を100枚ほどコピー。そのあと、飯田橋駅近くで来春の仕事の打ち合わせ。インターネットを活用したサイトへの協力を約す。紙媒体だけでは時代に取り残される可能性が強い。光の裏に陰もあるが、インターネットを有効に活用する方向に社会のシステムが動いていくにちがいない。
■渋谷で428会の忘年会。デザイナーの女性が二人の子供を連れてきていた。彼女の話では、子供は二人とも本好きであるという。「本は面白いですよね。読書離れといわれるけど、あんな面白いのに」。その通りである。日本語の豊かな伝統を次の世代に伝えていくことが、文化の豊かさに通じるのだが、親が身をもって示していないケースが多すぎる。子供は親の背中を見て育つのである。
■余興で行われたビンゴで珍しく当たり。副賞として参加者のイラストレーターがその場で似顔絵を描いてくれた。「似ている」とみんなからいわれたが、「実態より可愛く」描かれており、本人としては気恥ずかしい。
バブルのころは年末といえば連日、忘年会のハシゴをしていたと記憶する。異常といえば異常な時代であったが、面白いといえば面白い時代でもあった。ああいう時代はもう二度とこないだろう。喜怒哀楽を色濃く味わった人が、よりよく生きたという見方もできる。その伝でいけば、バブル時代を体験したひとは、「幸せ」であったかもしれない。
■しかしバブル崩壊で地獄を見、窮地に追いつめられ、一家離散や自殺に追い込まれた人にとっては、とんでもない人生であったに違いない。当時の金融政策やアメリカの要求などで、バブル経済がうまれた。そうして、ふくれあがった経済を急速に終息させたため、多くの犠牲者を出した。罪作りな政策をくりだしたものである。そんな政策を施行した政治家や官僚はその後、ほとんど責任をとらずにノーノーと生きている。さらに、一部は国民にお説教をたれたりしている。醜悪も窮まれりである。「節度」「足るを知る」といった言葉とともに「いさぎよさ」という言葉も今や死語になってしまった。