会社は株主のものだという傲慢な「金持ち」たち
2006年 12月 24日
■JALの大株主で、最近石原都知事親子への「2000万贈与」問題で渦中にある糸山英太郎氏が、テレビ東京の菅谷社長の記者会見を強く批判し、「テレビ東京はあなたのものではない、株主のものだ」とホームページに書いていた。糸山氏はテレビ東京の大株主でもあるらしく、経営陣に対していろいろ注文をつけていた。それに対し菅谷社長は記者会見で、中傷であるとした。
■これ以上、経営に踏み込むと、提訴もありうる……と示唆したことで、糸山氏は激怒した。株主として言い分があるのだろうが、ぼくには「テレビ東京は株主のものだ」と言い切る言葉が気になった。「改革」と称してグローバリゼーション(アメリカ化)が日本に導入されて以来、竹中平蔵氏らが盛んに「会社は株主のもの」といいまくり、それが常識のようになりつつある。果たしてそれでいいのだろうか。株主優遇策がつづくと、最終的に日本はアメリカの経済属国になってしまう。(すでに軍事的にはそうなっているが)
■テレビ東京は国民に強い影響力をあたえるマスメディアであり、公共性をもった組織である。それを一握りの株主が「オレのもの」だとして自分の都合のよい経営を行えば、ブッシュ政権に追随した報道をするアメリカのフォックステレビのようになってしまう。社会に影響力をあたえる会社は「公共性」をもったものであり、株主の「いいなり」で動く組織になるべきではない。会社は、株主とともに従業員のものでもあり、国民のものでもあるという意識が、これまでの日本にはあった。アメリカ占領政策の強い影響をうけながらも日本の「特性」として機能してき、だからこそ、日本は高度成長をとげたのである。
■バブル経済の失速以後、自信を失った日本政府はアメリカ型の経済を日本に植え付ける政策を優先している。もちろん、アメリカの強い要請、圧力のもと、とられた政策だが、現在、この政策の歪みが国民のモラルの面にまで影響をおよぼしている。日本の大会社はこのところ相当の利益をあげているものの、利益の多くは「株主」にいってしまい、従業員や社会にはあまり還元されない。
株で得たキャピタルゲインには10パーセントの税しかからないし、税制でも「金持ち優遇」策が続いている。
■国民のかなりの層が株をもつようになっており、株主優遇は結構と思っている人もいるようだが、日本の株の多くを所有しているのは「外資」である。株主優先はそのまま「外資優先」につながる。日本人が安い給料であくせく働いて得た利益が、自動的に「外資」にいくシステムが構築されつつある。
■アメリカ型競争原理が導入された結果、利益をあげて株主に配当を増やせ……というのが経営者への至上命令となった。金儲けのためなら、なんでもありという事態になっている。「数字市場主義、数字原理主義」の台頭である。その結果、非正規社員が増加し、社会の格差が極端にひろがった。日本の美質であった終身雇用も崩れ、多くの国民は非常に不安定な空気のなかで生きるようになっている。
アメリカと日本は、歴史も伝統も文化も違うのに、しゃにむにアメリカ的な制度を日本にもちこもうとしている。それが「小泉改革」の本質である。この政策を推し進めた竹中平蔵氏らは、日本をアメリカ化させようとして政権の中枢にはいりこみ、アメリカ化に多大に貢献した。公務員宿舎問題で税制会長の辞任に追い込まれた本間氏は竹中氏の師匠である。竹中氏は途中で参議院議員を辞めたが、辞任の背後にきなくさい噂が漂う。政権交代にでもなれば、小泉改革の影の部分が表に出るはずである。
■「改革」で多くの日本人が幸福になり、将来にわたって幸福でありつづけるのなら問題はないのだが、彼らがやったことの結果はどうだろう。改革の名のもとに「日本の良さ」が雪崩をうって崩れていく。自殺者が3万人以上という状態がずっと続き、教育が崩壊し、少子化が一層強まり、犯罪が凶悪化し、将来への希望がもてない……等々、ロクでもない社会をつくってしまった。
■日本を外資のエサにする「株主優先政策」は多くの日本人の利益にならない。今のような政策が続くと、日本はさらに外資(主にアメリカ)の食い物にされ、植民地的隷属状態におかれてしまう。(すでにそうなっているが)。将来を考えるためには、過去の歴史から学ぶことも必要である。江戸時代の庶民の「知恵」には学ぶべきものが多い。
身分制はいただけないが、江戸の文化はきわめて洗練され高度なものだった。そのことを、もう一度思い出す必要があると思うのだが。
■本日は、時実新子氏の川柳、横浜ゼミ句会に参加した。「はぐれ刑事」のシナリオを書いていた同業の杉山氏等が主催している句会で、月一回、横浜文学館で開かれる。カミサンがよく出席していたが、今回は忘年会もかねるので、ぼくも参加した。1月の浅草川柳会との合同句会以来の出席である。
「兼第」は「寝る」「粘る」「狙う」「値札」「音色」の5つで、これはあらかじめ2句つくっていく。当日あたえられた題は「席題」といって、「のれん」「望む」「ノート」「残る」「のぼる」の5つ。このほか「猫」の題を「互選句」として前もって送ってあった。
ぼくの句は3句が採用されただけ。これは「川柳大学」の雑誌に載る。
■句会には江戸川柳のながれをくむ浅草川柳会のひとも数人参加していた。時実川柳は「現代川柳」で同じ川柳といっても、かなり違う。ぼくは川柳というと、江戸川柳しか読んでこなかったので、戸惑う部分もあった。時実川柳はいわゆるサラリーマン川柳とも違って、当人の日常の心情、感懐などが中心になる。浅草川柳からきたベテラン氏は、時実川柳は恋愛ものが多いと話していた。
■終わって元町の中華街で忘年会。祝日で好天ということもあって、中華街賑わっていた。独特のネオンや匂い、行き交う中国語などで、ちょっとした「異国」に足を踏み入れた気分になる。渋谷から直通で中華街に電車が通じて以来、お客の数が増えているそうで、活気がある。よい気晴らしになった。何人もの方が『北京の檻』を読んでくれていて、「大変面白かった」「勉強になった」「大変だったでしょう、あれだけ書くのは」といってくれた。著者として大いに励みになる。読まれなければ本は存在しないも同然である。こういう人と接すると、次作への意欲が増す。