コラム


by katorishu
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非キリスト教徒なのにクリスマスイブ、ですか

 12月24日(日)
■クリスマスイブだが、キリスト教徒ではないぼくには関係がない。今年、ちょっと変わったなと思えるのは、街にクリスマス・ソングが以前ほどうるさく流れなくなったことだ。何年か前の年末はNHKの幼児番組がきっかけで流行った「団子三兄弟」の歌と山下達郎の「キミはもうこない」という歌詞のクリスマス曲が、どこにいっても流れていて少々辟易した。

■ぼくの行動範囲に、たまたまクリスマスソングが聞こえなかっただけのことかもしれないが。キリスト教徒でもないのに、「メリー・クリスマス」などといって喜んでいる姿は、あまり感心しない。非キリスト教徒がこれほど「クリスマス、クリスマス」という国は日本以外あまりないのではないか。韓国はキリスト教徒が多いので、わかるが、日本人の大部分は仏教徒なのである。なのに、お釈迦様の関連行事には目もくれない。
 底にあるのは商業主義である。お釈迦様関連では「ゼニにならない」のである。業者のPRにいとも簡単にのってしまう無節操な日本人。だからこそ、「奇蹟の」経済発展をとげたともいえないこともないが。

■アメリカの文化政策に見事のって、これだけアメリカ文化が流行った国で、キリスト教徒の比率が低いというのも不思議といえば不思議である。ぼくは、そのことでまだ日本は「救われる」と思っている一人だが。
 敗戦直後、小説の神様といわれた、あの志賀直哉が、日本の国語をフランス語にしたらいいと提言したりした。血迷って何をいうのかという感じだが、敗戦直後の日本の大人はそれほどうろたえていたのだろう。

■今また、敗戦直後にも似た空気が漂って、ひたすらアメリカのシステムに追従しようとする一群の人たちがいる。アメリカに留学したりした経済学者やビジネスマン、ジャーナリスト、政治家などに多い。彼らは社会的影響力をもつので、無垢な国民は「それが日本のためになり」「得だ」といわれると従ってしまう。

■ぼくも子供が幼稚園や小学校にいっているころは、家でクリスマス・パーティを開いたと記憶している。そうしないと「みんな同じ」という空気のなか、イジメにあう恐れもあり、妻の意向もあってそうしたのだと思うが。もっとも、当時、勤めと執筆活動などで、多忙をきわめ、家には寝に帰るだけであったから、そんな日でもない限り、子供との接触もなかった。

■1970年代ごろは、クリスマスというと喫茶店なども特別料金をとり、普段の倍の値段であった。バーなどにいくと、やたらとクリスマス・パーティ券を買わされた。酔ったときを見計らってホステスにたくみに誘導されると買ってしまう。パーティ件を買わされたものの、じっさいのパーティにいったことは一度もなかった。クリスマスには多くのサラリーマンは飲んで歌ってバカ騒ぎをし、翌日の新聞に写真入りで「恒例のバカ騒ぎ」として報道されたものである。
 高度成長がはじまった時期で、植木等の「サラリーマン無責任時代」の映画がはやっていた。それが「寅さん映画」にかわったころから、日本は住みにくくなっていったという気がする。「昔はすべてよかった」などというつもりはないが、アメリカの商業主義文化から、日本文化を守る術はないものかと改めて考えた日であった。
by katorishu | 2006-12-25 00:21