コラム


by katorishu
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「テレビ離れ」といわれる中で敢えてテレビドラマを見る

 1月13日(土)
■「風の来た道」に続き今年2本目のテレビドラマを見た。(最後までちゃんと見たということ)大河ドラマの「風林火山」の第1回目で、DVDに録画したものである。大河ドラマには伝統的なスタイルがあり、その定石通りの「無難な」展開である。子供から大人まで「見せる」というのは難しい。「無難」ではあるが、では「魅力があるか」と聞かれれば「ウウン」というしかない。昔、吉田直哉氏が冒頭に新幹線を走らせたりの「意外性」や、「これはひと味もふた味も違うぞ」といった強いメッセージが、伝わってこない。

■凝った出だしや変化球の出だしは、連続ものの場合、「あとが続かない」ことが多い。長丁場なので、こういう無難な出だしでいくのだろうが。いわゆる「大河ドラマ」も題材が出尽くした感じで、なかなか難しい時期にきている。こんな時だからこそ「冒険」「実験」をしてもらいたいものだ。
 テレビを見る時間そのものが少ないので、2回目以降を見るかどうか。「暇があれば」見る、見れば――といっておこう。
 本日、日本テレビの天海祐希主演の「演歌の女王」も第1回の放送があり、一応DVDに記録してある。彼女は宝塚出身で男っぽいところがあるが、コメディでこそ真価を発揮する。

■連続ものは少なくとも第1回は録画したりして見ていたものだが、このところ見ていなかった。巷間「テレビ離れ」がいわれるので、敢えて見てみよう。
 「勝ち馬に乗る」という言葉があり、そちらになびく人が最近特に多いが、ぼくは敢えて逆を行きたくなる。「財界にっぽん」という目次に、民放テレビは広告収入が減りって下方修正をし「5年以内に構造不況業種になる」という文字が躍っていた。中味を読んでいないのだが、地上波テレビはインターネットの影響を今後、強く受けじり貧に向かう可能性が強い。

■NHKの受信料の値段をさげて「義務化」すると総務大臣が過日表明した。これに対しNHKの会長が、その考えがないと反論した。民放とは違う基軸にたった放送局があったほうが、「多様性」という意味では視聴者にとっては歓迎すべきことだ。ただ、政府の意向を受けやすい今のシステムでいいのかどうか。NHKはもともとBBC放送の制度を真似たところがあり、受信料制度そのものは悪いシステムではない。しかし、払っていない人と払っている人のアンバランスは問題である。そもそも受信料契約をしていない層が相当数あり、この層の負担が払っている人にきている。

■「儲かる」ことを最大の目的にしている「商業放送」とは別の価値観、システムをもった放送メディアがあったほうがいいに決まっている。NHKならではの「特集番組」等々も数多くあり「単純にNHKなどいらない」という意見には賛同できない。別に、短期間ながら籍を置いたことがあるから「弁護」するのではなく、教育テレビやラジオ放送などもふくめ、「それが無くなったら」という観点から考えると、なくならない方がいいのである。

■ただNHKの番組に、「民放」の真似や後追いの番組が近年増えていることは事実で、どうも以前の「NHKの良さ」が画面に出ていない。もっとも地上波テレビについては、最近ぼくは視聴時間が短いので、断定的にいうことはできない。たまに見る番組に「これなら民放でやったほうがいい」と思われるものも多いので、そういうのである。

■とにかく「民放でできない」深い内容の番組を数多く作りつづければ、国民の多くはついてくる。しかし国民全員に強制的に払わせることは問題だろう。いずれ、今のBS放送のように「契約して一定の額を払った人だけ」がスクランブルをはずして見る――ということに落ち着くのではないか。

■最近、若い人でテレビ自体をもっていない人も多い。以前、某映画専門学校で5人の生徒に、テレビを見るかと聞いたところ、4人がテレビを見ないと話していた。テレビ自体をもっていない人も何人かいた。4人は脚本家、ないし監督志望だという。ワイドショーはじめドラマや報道番組などを「必ず録画したりしてよく見る」と答えた生徒は沖縄出身で、5人の中で唯一人プロデューサー志望であった。
「テレビをよく見る」というプロデューサー志望の生徒が一番しっかりしていて、社会に対する自分の意見、主張をもっていた。「テレビをよく見る」ということと関連があるのか、あるいは沖縄出身ということと関連しているのか。

■プロデューサー志望の生徒は、なにごとに対しても貪欲で好奇心旺盛。それが「差」となって現れたのだろう。「テレビを見ない」という「(若者の)主流」にまぎれず、あえて流れに抗するように「毎日ビデオにとってよく見る」というのも、悪いことではない。ついでに硬派の総合雑誌や哲学書、さらには週刊誌、女性誌、風俗雑誌、またわからないながらも外国の新聞雑誌などに眼を通す貪欲さがあれば、「ドングリの背くらべ」から一歩抜け出ることができる。沖縄の青年はどんな分野にいっても頭角を現す、と思ったことだった。
by katorishu | 2007-01-14 00:25