「インターネット時代」だからこそ増すアナログの価値
2007年 01月 15日
■午前中に起床しようと思うのだが、寝付くのが朝なので、どうしても午後起床になってしまう。食事をして外に出ると、既に日は傾いている。眠っているときは電話連絡などに出ないので、留守電に仕事他の用件が何軒かたまっている。こういう生活をしていると、インターネットのメールはありがたい。
昨夜といっても午前3時ごろだが、仕事の件でインターネットを通じて原稿とデジタル映像を送信した。インターネットの恩恵を、ぼくなどかなり得ている人間だが、この傾向をあまり歓迎もできない。
■一定年齢以上の人を中心に、インターネットとは無縁の人がいる。ひと頃、彼らのことを「旧世代の化石視」して「デジタルディバイド」という言葉も使われた。確かにビジネス面ではもはやインターネットは必須のツールであり、これを利用しない人は不利益をこうむることは否定できない。
「効率化」という物差しではかれば、確かにインターネットは効率的である。一方で、アナログも重要な柱である。電話だと声の調子で、言外の情報jが伝わるし、デジタルにはないものを伝えられる。さらに直接、対面して意見をかわせば、ちょっとした目の動き、表情の変化などで、さらに多くの情報jを交わせる。
■「効率化」という物差しですべてを位置づけられ、この尺度だけが大手をふるう社会は、多くの人にとって大変住みにくい社会である。いくつもの物差しがあり、多様な価値の選択のできる社会が「真に豊かな社会」であると思うのだが。インターネットへ、デジタル化へととうとうと流れていく。
■ブックオフにいく用事もあって、大井町まで歩く。仕事関連の書物8冊を買ったが、すべて100円である。資料として使う場合、線を引いたりページに折り目をいれたり、切り取ったりもするので、新刊本だと気がひける。図書館などで借りた本はコピーにとって、そうしているのだが、ブックオフで買った本は「汚して」使う。
自分の本が100円で売られているのを見るとき、淋しい気がするが、安売りの恩恵を得ているので、文句もいえない。
ブックオフであれ、無料の図書館であれ、手にして本を「読む」人が一人でも多くなることを、歓迎したい。