ツーカーがなくなるので仕方なくauに機種変更
2007年 01月 15日
■パソコン等の機器は日進月歩で日々便利になるのは結構なのだが、技術革新が早すぎて以前に使用していたものが使えなくなってしまう。ワープロが一般化されてから20数年であるが、初期の頃使用された5インチのフロッピーはもう読み取る装置がないといってもよい。パソコンが現れてからワープロ専用機の生産を企業がやめてしまったのである。ひところ普及したワープロのフロッピーディスクそのものが、すでに容易に読み取れなくなっている。
■仕事の必要からぼくも携帯電話をもっている。ぼくに関しては最小限の機能があればいいので、ツーカーの機器を使用していた。ところが、ツーカーはこの3月をもって終了する。従ってauに変えて欲しいという連絡が繰り返しきていた。携帯メールはやらないし、電話での応答ができればそれでいいので、あまりいろいろな機能がついていない安価のツーカーを使っていたのだが、使えなくなってはどうしようもない。本日仕方なしにauに変えた。
■どうせ変えるならテレビの映るワンセグにしようと思った。ポイントがある上、割引があるので、ワンセグの携帯にしてもあまり料金がかからなかった。最新のものにしたおかげで、なにかと便利な情報もはいるし、これはこれで慣れれば便利な機器なのだろう。
ところで携帯メールはあまり使わないつもりだ。どうもピコピコやって文字を打つ携帯は、せせこましくていけない。携帯メールはその場で書けるという便利さもあるが、駅のプラットホームなどでピコピコ打ち込んでいる姿は、美しくない。
■メールであったら、パソコンである。パソコンのインターネットを利用したほうがいろいろなことを書けるし、時間の節約にもなる。デジカメについても、一眼レフのデジカメのほうがよく撮れるので、恐らく携帯デジカメもほとんど使わないに違いない。
この春、某社がauがらみで「ある試み」をするが、その「事業」にぼくも多少なりとからんでいるので、いずれauに買い換えようとは思ってはいたのだが。
■機器の変化の早さは大いに問題である。便利さと裏返しの「いつの間にかカネをとられる」システムが次第に構築されていくことも問題である。この種のシステムの課金では、1件1件の額は少なくとも10,20件とたまるとバカにならない。真綿でじわじわと首をしめられるイメージがわく。だからといって、このシステムを拒むときわめて不利益をこうむるようになっている。これも問題である。
■ヨーロッパの中世には人が存在するだけで税をかけられる「人頭税」やけ結婚するととられる「結婚税」などがあり、庶民は支配者からいいように搾り取られていた。
今は一応「民主主義社会」なので、そんな露骨な真似はしないが、本質はさしてかわっていない。「ソレがないと不利になるばかりか生きていけない」システムが出来てしまっているのである。今や大半の中高生が携帯電話をもっている。彼らは強制されたわけではないが、携帯をあえてもたないという姿勢を貫くにはずいぶんと勇気がいるにちがいない。
■多くの生徒が「携帯がなかったら生きていけない」という状態になっているそうだ。5,6年前には中高生で携帯をもっている者などほとんどいなかったのに、短期間で様変わりしてしまった。携帯電話に費やすお金と時間は、かなりのもので、その分、当然のことながら他にシワ寄せがいく。
■携帯にさくオカネが多くなり、ほかの「教養費」などゼロに近くなっているのではないか。携帯がらみに費やす時間も大変なものだろう。その年齢にやるべきことをやらず、読むべき本も読まず、身につけるべきマナーなども身につけずに、「子供大人」が育っていくとしたら、社会にとって大きなマイナスになる。かなたに某IT企業のエンパイアステートビルを模した高層ビルを見ながら思ったことだった。