コラム


by katorishu
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雇用問題をあつかった「朝まで生テレビ」を3分の1ほど見た

 1月27日(土)
■高田馬場でのシナリオ教室の講義。生徒は全員女性。目の輝きがあるのが、いいと思った。なにか目標をかかげて、そこに向かってひたむきに努力をする。そういう人が少なくなっているので、志をもって努力をしている人は貴重な存在でもある。

■終わって南アフリカの現実を描いた映画を 日比谷で見る予定であったが、時間がうまくあわず、やめにしてコーヒー店で執筆作業。本日の日比谷、銀座は人でにぎわっていた。場所柄から、比較的、富裕層の客が多いので、街は華やかな印象である。ただ、以前の銀座とちがって居酒屋でも「和民」や「天狗」等々どこにでもあるチェーン店が多くなった。表通りは「さすが銀座」と思わせる雰囲気を維持しているが、裏通りは、「長引く不況」の姿が色濃く影を落としている。

■昨日のテレビ朝日「朝まで生テレビ」を3分の1ほど見た。管理職ユニオンの設楽氏やエコノミストの森永氏などは、しごく全うな意見を吐いていたが、与党議員の発言には、「庶民感覚がまったくわかっていない」類の意見が多かった。格差があるのは、能力差や意欲の差があるので当然なのだが、格差の「開き過ぎ」が問題なのである。

■株主など一部富裕層重視の政策が相変わらず続いており、現政権が続く限り一層格差はひろがるだろう。どなたかが、「お金を右から左に流して、膨大な利益を得ている人があるという発言があったが、私の知っている証券関係者は、システムを構築するため額に汗して働いている等大変な努力をしている」と話していた。

■確かに金融(金儲け)のシステムを新しく構築する人は日々知恵を絞り、大変な労働をしているのだろう。問題は、そういう人たちが作り出した「システム」にのっかって、安易に金儲けをしている一群の「富裕層」の存在である。一定額以上のオカネ(数億円以上か)をもっている人は自分が知恵をしぼらなくても、金融専門家やコンサルタントにオカネの運用を丸投げすれば、自動的にかなりの利潤が転がりこむ。

■つまり一定額以上の資金をもっている人は黙っていても、資産が増えていく。そのシステムが問題なのである。特定の人にオカネが大量に流れこむということは、そのほかの人間の懐には流れないことである。日々奴隷に匹敵するくらいの労働をしなければ、生きていけない層が急増していることが問題なのである。最近は金融知識をあまり持たない「素人」が株の投資をするようになったが、プロの金融マンからみれば「これほどだましやすい」カモネギはいないそうだ。

■それにしても、いわゆる「リッチ」といわれる一握りの人たち。その中には「濡れ手に粟」の人もかなりいるようだ。この層が増えることは必然的にモラルの劣化に通じ、きわめて住みにくい社会になる。日本社会が混乱し、購買力が低下し、日本の社会・経済がうまく機能しなくなったら、元も子もなくなるのではないか。

■そうなったら、富裕層は日本から逃げ出しどこぞのリゾート地等で暮らそうなどと考えているのだろうか。西武系の某オーナーのように、税法のからくりをいろいろと駆使して、なんとか税金を払わないようにしたり、政治にとりいって自己の利潤を確保しようとする人がいる。「自分さえよければ」「自社の会社が利潤をあげさえすれば」「自分の株の値があがりさえすれば」――等々、「他への迷惑」や「脱法すれすれ」のところで、小賢しく利潤を追求する「拝金教徒の勝ち組」ともいうべき人たち。
 現行のシステムを最大限利用して利益をあげ「(物的に)豊かな暮らし」をしている人(その家族、取り巻き)に、言葉の本当の意味で「愛国心を欠いた」人が多いような気がしてならない。もちろん、ボランティアやいろいろの社会貢献に力をいれている人もいますが、キリスト教の博愛精神が根付いていないところに「拝金教」が根付いてしまっているもので、弊害が出ているのです。日本文化に拝金教は似合わない。
by katorishu | 2007-01-28 03:33