「裏方」がどうあつかわれるかで、その社会、組織の正体がわかる
2007年 02月 09日
■テレビのデジタル放送のニュースで松本市の小学6年生のクラスが全員参加して40数分の「映画」を完成させたことを伝えていた。『ザイアスの秘宝』というタイトルで、シナリオまで小学生が書き、11ヶ月かけて完成させたという。ヒロインと怪盗の戦いのアクション映画で、特撮やセット撮影などを行った。クラス担任の指導があったにせよ、小学生の1クラスが、質はともかく「映画」をつくってしまう。
■ひところには想像も出来なかったことである。こういう試みのなかから、将来の映像作家が育ってくるといいのだが、今は映像の基礎にあるのは脚本(シナリオ)であることをしっかりと学びとってくれればいい。基礎がしっかりしていないと、わけのわからないものになってしまう。これが建物だと欠陥住宅になる。耐震偽装などでマンションやホテルの建物の安全性がいろいろといわれているが、基礎の基礎の手抜きを行ったことが原因である。
■地味で目立たないところが、とかく軽視され、表面的なことを飾り立てる傾向が強い。社会を見えないところで支える「裏方」に比べ、「表方」ばかりに光が当たり勝ちだが、裏方がどう扱われているかで、その社会や組織等の「正体」がわかる。
TBSでの「情報バラエティ」でも捏造があった、と本日発売の週刊新潮が伝えている。『人間、これでいいのだ』という「情報科学バラエティ」で、「聞くと頭がよくなる音」を紹介した番組である。そんな「音」は存在しないと科学者は警告している。最初に「結論ありき」で安直に「科学番組」をつくると、こういうことになる。この番組も下請けの制作会社がつくったとのこと。
■科学情報を「面白おかしく伝える」番組の氾濫には、「困った傾向」と以前から思っていたが、そのマイナス面が噴出している。なにもかも「おもしろ、おかしく」伝えないと、多くの視聴者から「見てもらえない」という現実もある。
作り手の問題であるとともに、受け手の問題でもある。「じっくりと」「深く掘り下げて」描く作品は、どのジャンルにせよ「おもしろい」はずなのに、「便利さ」「快適さ」に慣れきってしまった「お客」は、「退屈」と感じてしまうようで、結果として「数字」がとれない。そのため、「市場経済」の原理で排除されていく。困った傾向である。
■私見では、幼少期から毎日、シャワーのように照射されるテレビCMが、脳機能に少なからず影響を与えているのだと思う。映像が次々と変化し、考えるイトマをあたえないものを「おもしろい」と感じてしまう。逆にそういう類のもの以外は「つまらない」と感じてしまう。番組もそんな人間の「感性」とやらに引きずられ、悪循環を繰り返す。
じっくりと対象を見て考えることの苦手な人間が、子供ばかりでなく大人にも増えている。抑制、節度、我慢――等々から、この姿勢が養われるのだが。すでにこれらの言葉は死語になろうとしている。どんなジャンルにせよ、今ほど対象をじっくり見つめる姿勢が必要なときはない。