ユーチューブの創業者が「テコ」の原理で810億円の大金を2年で獲得
2007年 02月 10日
■アメリカの動画投稿サイト「ユーチューブ」の20代創業者2人が、この会社をグーグルに6億7100万ドル(約810億円)相当のグーグル株を取得したという。創業から2年足らずで「大富豪の仲間入りを果たした」とマスコミが報じていた。ユーチューブは日本でも若者の間で評判のサイトで、マスコミにのらない映像がアップされ、新しい情報伝達の手段として注目されていた。ただ、テレビ画面を無許可で勝手に載せるなど著作権侵害も指摘されていた。
■アメリカン・ドリームの現代版というのだろうが、それにしても、810億円もの富を2年弱で20代の若者が得てしまうとは、いやはやである。
典型的な「テコ」の原理を最大限に利用した錬金術で、この成功が一層のギャンブル的傾向を助長するのではないか。システムを巧みに利用し応用したり、新しいシステムを作りだすと、昔の王侯貴族に匹敵することが出来てしまう。
■技術の進歩でこの傾向がさらに助長されると、世界の富がごく一握りの者の手にわたり、絶大な権力、威力を彼らにあたえることになる。新しい「(成金)貴族社会」の出現であり、富の格差は絶対王権主義時代のように極端にひろがる。
単純化していえば、限られた富が一定層に集中することは、その他の多数の人間にいく富が少なくなるということである。日本の戦後を評価するとすれば、「一億総中流社会」であり、これは世界でも希有なことである。別の言葉でいえば「平等社会」ということである。
■江戸時代以来、日本には「極端な富豪」は存在せず(徳川家という例外があったが)、かなりの程度、平等であった。土地が売買の対象にあまりならず、支配階級の武士のが多くが経済的に貧しく、清貧が大きな価値観をもっていたので、一部の富豪がいたものの、社会全体で富の格差は大きくはなかった。
身分制度はあったものの、富をわけあって生きる「平等社会社会」であったといえる。戦後は一層この傾向が強くなり、多くの国民に中流意識がうまれ、それが日本の美点であると世界から興味深く見られた。
バブル経済が崩壊したころから、「平等」というと直ぐに「それは社会主義だ」などという評論家、エコノミストが増え、なにやら平等は悪いことのような風潮が生まれた。
■なにもかも競争、競争で、「強い者が勝つ」のは当たり前、勝ち残るためにはモラルなど損なっても仕方がない、とにかく「数字」をあげることが、最高の価値……そんな価値観が若者から中高年に至るまで行き渡ってしまった。アメリカのシステムを日本に導入することに、なぜか執念を燃やす竹中平蔵氏等の理論にのった小泉前首相が「改革なくして成長なし」のワンフレーズ・ポリティックスによって、日本の「美徳」を打ち砕いてしまった。
■バブルを発生させて急速に終焉させた政権与党や経済官僚の驕りや誤った政策が遠因にあるのだが、「小泉改革」がこの傾向を一気に助長させた。最近、いろいろな分野でモラルの崩壊が見られるが、根底には「数字をあげるが勝ち」という価値観がある。
一攫千金は競馬や競輪などに限って、実業では「地道に」という伝統を大事にしたいものだ。ユーチューブで莫大な富を手にした若者が、その富を文化や芸術の活性化やボランティア活動などに使ってくれるといいのだが、無理な注文でしょうね