コラム


by katorishu
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映画『二四の瞳』に感動

 2月17(土)
■昨日、ビデオで映画『二四の瞳』を見た。木下恵介監督作品で、高峰秀子が主演。昭和29年の作品である。160分ほどの長丁場でたんたんとした展開であったが、素直に感動した。昔見たことがあるはずだが、ほとんど記憶に残っていなかった。
 壺井栄の原作小説を木下恵介が脚色し、監督したもので、四国の小豆島を舞台に、ここの分校に新しく赴任してきた女教師と12人の子供たちの出会いからはじまる。

■昭和初年の日本である。子供たちの素朴な反応は、今は昔だろうが、微笑ましい。貧しいながら明るく健気に生きている子供たちは、じつによく歌を歌う。
 ところが、そんな牧歌的な光景も束の間で、戦時色が強まるにつれ、子供たちは社会の渦に否応なくまきこまれていく。時間が飛び開戦となり、教室の空気も変化する。家庭の事情が子供たちを容赦なく襲い、子供たちは夢と現実のなかで悩み苦しむ。子供たちの心と結びついた女教師は、その度に胸を痛めるが、どうしようもない。
 やがて女教師は結婚し、三人の子供を産むが、徴兵された夫は戦死をとげる。

■時間はとび戦後、同窓会で見違えるように成長したかつての生徒たちに、女教師は再会する。しかし、やってきたのは一二人のうち半分ほどで、男子は二人。他はすべて戦死してしまった。涙をさそう物語で、人々の善意や優しさが見る人の心を癒す。
 現在では「差別語」となっている言葉なども随所に見られ、時代を感じさせてくれる。木下恵介監督の思いが横溢した作品で、微妙な感情をおさえ気味に演ずる高峰秀子の表情は豊かで秀逸である。
「心が洗われる」とは、こういう映画の見たあとにこそでる言葉である。

■もちろん、当時はこんな「きれいごと」ではすまなかったといって、批判することはできるだろう。だが、あの時代の空気をよく吸い取って表現しており、作り手の思いが素直に伝わってくる。
 物質的繁栄のなか、あの映画に表現されていた「人心」も「自然」も「村の光景」も死滅してしまった。
 小豆島には30数年前一人旅をしたことがあるが、まだ素朴な光景が残っていた。当時は白装束のお遍路が泊まる遍路宿などがあった。道路は舗装されてなくて、バスの座席にすわっていると飛び跳ねて天井に届きそうになったことを覚えている。記憶の中の光景は、今、どうなっているのだろう。時間があれば一度訪ねていってみたいものだ、と思ったことだった。
by katorishu | 2007-02-18 01:41