光ファイバーに変えたものの
2007年 02月 25日
■NTT東日本の光通信Bフレッツに本日から変更した。通信速度が速くなるかと思ったら、そうでもなく、LAN設定がどうもうまくいかず、一日の大半がつぶれてしまった。本体のパソコンとのメールやインターネットについては、簡単に設定できたが、ほかのパソコンとのLANでの通信の設定が複雑煩瑣で、マニュアルを読んでも、どうもよくわからない。とくに無線LANの安全性を保つための暗号化について、説明書の説明では不親切である。
インターネットの仕組みについてなるべく学ぼうとしているので、自分で設定しているようにしているのだが。もう少し簡易にならないものかと、いつも思う。
■善し悪しは別にして、インターネットを通じた情報のやりとりは、時代の流れであり、インターネットが社会を大きく変えていくことは間違いない。その社会が、多くの人にとって住みやすく、幸福感を覚えられるものであるといいのだが。
最近、感じることのひとつに、他人に対しての「優しさ」が減っているということがある。人が道を歩いていて何かを落とす。以前であったら「落ちましたよ」と声が即座にかかるのだが、知らん顔して黙って歩き去る人が多くなった。
下手に善意の手をさしのべると「余計なことするな」といわれかねないし、電車の中などで、目に余る振る舞いに対して注意をすると、なにをされるかわからないので、無言のまま見過ごす人も多くなった。人への無関心、冷淡さ。これは「優しさ」の対極にあるもので、私見では、社会の仕組みが複雑になればなるほど、その傾向は強まる。
■深夜、パソコンに向かいながら、「便利になった」と思う一方で、この便利さが果たして人を幸せに導くであろうか、といつも思ってしまう。
少々不便でも、物質的に豊かでなくとも、多くの人が「幸福感」を抱ける社会を目指さないといけないと思うのだが。そういう「のどかな社会」は既に望むべくもない。
多くの人の「欲望」をエネルギーとして、ある方向へ大きく動きはじめた「巨弾な歯車」にストップをかけるのは、むずかしいようだ。こうなったら、とにかく「長生き」をして「この世の果て」を見てみたい。