コラム


by katorishu
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世界同時株安は、中国バブル崩壊の兆し?

 2月28日(水)
■上海発の株の下落が瞬時に世界にひろがり、「世界同時株安」が起こった。ついに中国のバブル崩壊か――と思った人は多いだろう。インターネットが普及し、世界が有機的につながっったことの具体例といえるだろう。落下のスパイラルにはならなかったようであるが、厭な兆候ではある。
 ぼくはこれまで株を1株ももったことがなく、取引などには関心がないが、経済の動向を知る上で株価の動きには、それなりの関心をもっている。

■急激な経済拡大路線をはしりバブルとなっている中国経済は、かつての日本のバブル崩壊のようにいずれ、ふくらんだ風船が破裂するならいで弾けるにちがいない。来年の北京オリンピックまでは破裂を免れるかもしれないが、そのあとが危ない。東京オリンピックのあとも、ゆりもどしのように景気後退がやってきた、と記憶する。
 中国国内の貧富の格差は危機的状態にまでひろがっているし、水資源をはじめ、環境汚染も深刻な事態になっている。

■日本は今や、中国経済にかなりの程度、依存しているし、この国の経済破綻は大津波となって日本を襲うだろう。インドやアメリカへの影響も大きく、そこからビリヤードの玉のようにはねかえって襲う可能性もある。インターネットで世界がつながることの光と影を、経済は常にかかえている。明日からの世界の株価の動きは注目される。

■経済の失速等は、まわりまわってぼくのようなフリーランサーの仕事にもはねかえってくるものである。4月から京橋のフィルムセンターで今村昌平監督の映画特集がはじまる。その関連パンフのために、昨日、「映画とカネのなやましい関係」というタイトルの12枚ほどのエッセーを書いてメールで送信したが、物づくりとカネとは密接に関連しているものである。

■「映画はカネではじまりカネで終わる」といった意味の言葉で結んだ。映画関係者の中にも「世界同時株安」のニュースにひやっとした人は多かったのではないか。
 経済の動向によって、それまで金主となっていた人が資金を引き揚げ、ポシャッテしまったケースをいくつも知っている。ぼくがシナリオを書いたケースでも、すでにシナリオは完成しているのに、いまだに製作に至らない作品があるが、最大の理由は製作資金の問題である。

■同時株安のニュースを見ながらコタツで仮眠し、妙な夢を見た。エコノミストの森永卓郎氏が出てきて、どういう経緯があったのか忘れたが、一緒に新宿あたりの飲み屋にいくことになった。ぼくは森永氏に面識はない。今年はじめカミサンが仕事で森永氏にインタビューをしたので、その影響からなのか。夢の中で、ぼくが行こうとする飲み屋は森永氏の気にいらないところらしく、「ぼくが良く知っている店があるから」と誘われた。店にはいったところ、白服を着て注文をとりにきた「店主」を見て「なんだ×××か」とぼく。某コメディ劇団を主宰する舞台役者で、ぼくは何度か、その劇団のための脚本を書いたことがある。最近は会っていないので、どうしているかと思っていたのだが、夢の中で会うとは。

■株のこととカミサンのインタビューのことが頭にあったために、面識のない森永氏が「親しい人」として夢に登場したのだろう。彼はニッポン放送で早朝、月曜か金曜までのワイド番組で「キャスター」をしており、ぼくはときおり寝床でイヤホンつきのラジオで聞いたりする。朝がた、イヤホンでラジオを聞きながら眠ることが多いので、ラジオにはよく接しているのだが、森永氏は「まっとうなこと」を口にする数少ないキャスターである。

■夢とは妙なものだ。フロイトの「夢分析」を昔、一読したとき、衝撃を覚えた。そんなメカニズムがあるのかと感心したことを覚えているが、現在、フロイトの理論とは別の説や理論もあり、夢の本質は科学的にわからない部分が多い。
 それにしても、我がことながら、不規則な生活はなんとかならないものか、と日々思う。本日、脚本アーカイブズの「報告書」についての編集会議があり、北千住の準備室で5時間ほど過ごしたが、睡眠不足なのでかなり疲れた。帰路の電車で居眠りし危なく乗り過ごすところだった。

■電車内ではたいてい本を読むのだが、脳が疲れているので、さすがに本日は読む気にならなかった。電車の中で読む本は文庫本が多く、いつも鞄にいれていて、5分の待ち時間があればページを開く。最近は昭和30年代の日本の短編ミステリーで、「時代色」を感じさせて、それなりに興味深い。ミステリーの短編は2,30分で読めるので、電車内(あるいはプラットホームで)で読む本としてはふさわしい。よそに出かけるときの楽しみのひとつである。
 日常生活の中に、小さい「楽しみ」をいつも持ちつつ生きることは大切である。チリもつもればなんとやらで、「小さな楽しみ」の集積は、大きな意味をもつ。さて明日は久しぶりに佐野洋の短編ミステリー集でも読もうかと棚の文庫本を見ているうち、時間がそれこそ「あっという間」に経過して、もう夜明けが近い。以前は時折、始発の電車に乗って、すいた車内で執筆作業をしたりしたのだが、さすがにそんな元気がない。
by katorishu | 2007-03-01 04:16