松岡大臣の答弁は国辱もの
2007年 03月 13日
■BBCを見ていたら、ソマリアなどアフリカ大陸の光景が映し出されていた。内乱状態の国がいくつもあり、国連の援助の手の届かない地域など、子供を中心にどんどん亡くなっている。老人の姿があまり見られなかったが、たぶん、老人になるまで生きることが難しくなっているのだろう。21世紀になっても、愚かな殺し合いが続く。
■先進国で便利で快適な生活を送っていると、アフリカなどでの悲惨な生活のことを忘れがちである。しかし、いずれ食糧危機が地球規模で襲う可能性も強く、明日は我が身かもしれないのである。天然資源を大量消費する文明の歯車をとめて、人類の滅亡をすこしでも遅くするためには、どうあるべきか、真剣に考える時にきていると思うのだが。
■先日の新聞に大学生の読書量が更に減っているとの調査報告が載っていた。詳細は忘れたが、一ヶ月間に本を一冊も読まなかった大学生の割合が4割を超えたという。1985年の調査のときは19パーセントであった。当時も活字離れがいわれていたが、さらに進んだことに驚く。文字はインターネットや携帯でしか読まないのか。雑誌や漫画は読んでいるのだろうが、「本」を読まないのである。
■大学生の時代こそ、堅い本に食らいつきどん欲に知識や考え方を吸収すべきなのに。思考の訓練に読書は有効であり、そもそも社会や歴史についての「基礎知識」がないと目の前の現象や出来事について、適切な判断もできなくなる。判断の基礎になるのは情報であり、基本的な考え方なのである。
本を読まず深く物事を考えない人たちが社会の中堅になるころ、日本は世界の「後進国」になっているのではないか。20年、30年後の日本が懸念される。
■恐らくぼくはそのころまで生きていないだろうが、ぼくの推測が杞憂で終わることを願いたい。
若者より、日本のリーダークラスの劣化はさらに問題である。例の事務所経費問題で、アホな答弁を国会で繰り返している松岡農相。本人はよくわかっていて敢えてあんな空疎な答弁をしているのだろう。大臣を降りると、政治資金規正法違反で逮捕されかねない。だからこそ、なりふりかまわず大臣の椅子にしがみついているのである。見苦しい限りである。
■ああいうお粗末な人間が大臣となっているのが日本の政治の現況である。松岡大臣を任命した安倍首相はいつまで辯護を続けるつもりだろうか。率直にって、こんな大臣が居座り続けることは日本の恥である。国辱という言葉は、こういう時にこそ使うものである。