激変の時代、「団塊の世代」を中心に起業する人が増えている
2007年 04月 10日
■最近、「団塊の世代」を中心に新しく会社を興す人が増えている。ほとんどの起業は、比較的資本のかからないIT関連である。ソフト製作に比重をおいた企業であれば、アイディア勝負で既成の企業と対抗することも可能である。
ただ、ブログなどと同様、手軽に起業できるので、過当競争になりがちで、大変な競争が繰り広げられることになる。そこから、なにか新しい文化が生まれることを期待したいものだ。
■すでに「ある」器のなかに、なんとかして「入り込む」のではなく、自ら「器」をつくって、個性のある「もの」を販売するビジネス。インターネットの普及によって、そういうことが可能になったのである。資本がほとんどなくとも会社を興すことができ、知恵と努力で比較的短期間に安定経営にもっていける。
意欲や才がはあっても資本も強いコネもないような人にとって、インターネットの普及は朗報であり、チャンス到来であるのだろう。
■一方で、既成のメディアのテレビや新聞、出版は「崩壊過程」にはいっているようだ。「崩壊」といっても消滅するというのではなく、形が相当程度かわる。これまでの「商習慣」にあぐらをかいた「殿様商売」では早晩やっていけなくなるだろう。善し悪しは別にしてインターネットの力が、情報産業のあり方を変えていく。この流れはもうとどめようがない。
■ウエブ関連で新しく企業する人の多くは、そんな流れを肌で感じ取り、21世紀にふさわしい情報の仕組みを提示しようとしている。大変な作業で「茨の道」ではあるが、今ではわずかになってしまった「フロンティア」が、ウエブ上にこそ残されている。
■本日も2通ほど起業をしたとの知り合いのメールに接した。成功より失敗のほうが多いのが現実だが、この時代、敢えて新しい可能性にチャレンジする意欲を買いたい。
環境問題ひとつとっても、地上の先行きは明るくないのだが、だからといって縮こまっていたら、ますます気が滅入るというもの。成功を祈りたい。
■今日は昨日の続きで、明日は今日の続きであり、そんな日常の流れの中にぼんやり身をおいていると、いろいろなことが劇的にかわっていっていることに気づかない。
ところで、未来は予測不可能なことに充ち満ちている。未来について考えるとき、案外参考になるのは過去の歴史である。さしあたっては「昭和」と「大正」である。すぎてきた時代の意味を、あらためて自分なりの視点で検証してみたい。『論座』6月号(5月1日発売)より、昭和初期の激動の時代を舞台に「華やかに」「艶やかに」生きた某女優の半生を描くノンフィクション『妖花』の連載が始まります。ご一読くださるようお願いいたします。