なにやら哀れを催す村上ファンド元代表の「嘘」の釈明
2007年 04月 12日
■短期間に多額のカネを儲ける「成金」には、どこか胡散臭さがつきまとう。村上ファンド元代表村上世彰被告は、ニッポン放送株のインサイダー取引事件で証券取引法違反罪に問われたが、11日、東京地裁で開かれた公判で、ライブドアニッポン放送株買い占め方針を認識した時期について、買い占め実施の直前であったと認めたという。
■逮捕される前の記者会見で話していたことは、嘘であったということである。村上被告は「分かりやすいストーリーを話そうと思った」と釈明した。法の穴をついて大金をもうけた「悪賢い」人間が、結局は法律という「暴力装置」にからめとられたのである。
ひところは、俺が日本を動かしているのだといわんばかりの勢いであったが、なにやら哀れを誘う出来事である。
■『第三の波』で有名なアルビン・トフラーが『パワーシフト』のなかで、以前は企業や政府が人々をコントロールするのに「暴力」を使ったが、近年はもっと効果的なコントロールの手段としてカネを使うようになったと記している。
忘れてならないことは、カネの威力の背後には「法律」が控えているということである。法律というと、一見、平和的に見えるが、身柄をも強制的に拘束する「暴力」によって裏打ちされている。極論めくが、法とは「国家暴力」といってもよい。
■「民主主義社会」では選挙で選ばれた国会議員が法律を制定する。そのため「公正さ」が担保されると考えられているのだが。
暴力装置である「法」によって得をする人間と損をする人間が出てくる。得をする人間は、法の抜け道などを熟知し、多くの人間の迷惑などかえりみず、「野望」や「欲求」の達成に臆面もなく知恵を絞る。
■彼らの多くは「金融業」ないしこの関連業者であることが、現代の特徴である。
近年、明白な形での企業暴力やビジネス暴力が姿を消したが、これは「長い年月をかけて他の機関に暴力を請け負わせよう」としたからだと、トフラーはいう。力の行使者は、自分で暴力を操作するかわりに、「政府のサービス」を買うのである。そのため、すべての工業国では、国家暴力が私的暴力に取って代わっていると、強調する。
■そういう装置を「ビジネスモデル」、あるいは「国家の装置」としてて、巧緻なまでに完成させ、世界から富を集めているのが、現代のローマ帝国アメリカである。アメリカはこのシステムが有効に円滑に実施されるよう、しばしば「暴力」と「富」と「知識」を使う。
■『すべての法律の背後に、善悪はともかく、銃口が控えている。フランスの元大統領、シャルル・ドゴールが言い放ったように「法律は武力の介添えが必要」なのである。法律は暴力が昇華したものだ』とトフラーは記しているが、われわれはともすれば国家を成り立たせている大本に「暴力装置」があることを忘れている。
■人が力を行使する際に3つの要素がいる、とトフラーは指摘する。「暴力」「富」「知識」である。政治の世界ばかりでなく、とくにビジネスの世界では、形をかえてはいるものの「暴力」が厳然と存在していると。
膨大な富を一カ所に集積するには「知恵」だけでは足りず、法という「暴力」をうまく使って集める。それが巧みに出来る人こそ「有能な経営者」というのだろう。
しかし、所詮は「暴力」によって集めたカネである。「悪銭身につかず」と昔の人はいいことをいった。
一方で、今の世の中、カネがなければ何一つ出来ない。これが厳しい「現実」である。