ゆっくりと忍び寄るカタストロフ
2007年 04月 26日
■数日来の寒さで、風邪をひいてしまったようだ。喉が痛く、頭も痛い。日本橋でマーケティング関係者を前にちょっとした「ミニ講演」。人を感動させ、引きつけるためには、どうしたらいいか。日頃考えていることなどを1時間ほど話し、その後雑談。
■ものが余っている時代、みんなものを売ることに苦労している。若年層の少なさも原因なのだろう。以前、知り合いの大学教授が「今、一番の苦労は学生をどうやって集めるかである」と語っていた。都心にある知名度の高い大学はともかく、郊外にあったり、千葉や埼玉にある新興大学は、学生集めに懸命のようだ。なにがなんでも一定数の学生を集められない大学はいずれ廃校になる。企業にしても同じである。
■ものが余っているのなら、作らなければいいという理屈も成り立つが、それで「食べている」人はカスミを食べるわけにいかないので、なんとかしようと必死になる。「天下り」等々、税金を合法的に自分たちのものにするシステムをつくり、そこに安住している人には、実感がないだろう。社会保険庁などの公費の膨大な無駄づかいも、責任追及が曖昧なまま終わっている。役人およびこれをとりまく人たちの餌にされてしまったようだ。
■表面的には相変わらず繁栄をつづけいるように見える日本というシステムは、どんづまりにきている。世界もどんづまりにきているのだが、権力者、為政者はどれほど深刻に考えているだろう。ゆっくりと忍び寄るようにカタストロフが近づいている。現行のシステムの恩恵を受けていない人は敏感に肌で感じている。霧の向こうにカタストロフという「氷山」があるのだが、システムの恩恵にあずかっている人にはなかなか見えていない。いや、見ようとしない。はっきり見えたときでは決定的に遅いのだが。