コラム


by katorishu
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伝染病としての文明

 6月7日(木)
■久々に北千住の脚本アーカイブズ準備室に。13時より18時過ぎまで。会議そのほか。
 読まなければならない資料、本等がいろいろとあり、原稿書きもしなければならないのだが、どうも脳が疲れている。昔からそうであったが、脳が疲れると、いろいろなことが悲観的に見えてくる。ぼくの場合、根がオプティミストなので十分な睡眠がとれていれば脳の疲れはすぐに回復するのだが、本日も寝不足である。寝不足が脳を一番疲れさせる。

■電車の中などで「続・ものぐさ精神分析」(岸田秀著)を読んでいるが、なるほどなと思えることが多い。「伝染病としての文明」のところで、氏はこう記す。
「文明は、人類が生物学的に畸形的な進化の方向にはまり込み、本来の自然的現実を見失ったことにはじまる。人類は、見失った自然的現実の代用品として人工的な擬似現実を築きあげた。この擬似現実が文明である」
 擬似現実なので、どうしても文明と現実の間にしっくりしないものが残り、人類は文明の中にあって、どこか居心地がわるく場違いな感じを抱いている。この居心地わるさを解消しようとして、また新たな擬似現実を築き上げる。それがまた居心地わるさをもたらし、解消しようとしてさらに擬似現実を築く。さらに……と悪循環を繰りかえすのだが、人類はこれを「文明の進歩」と呼ぶ。

■きわめて皮肉な論を展開しているのだが、説得力がある。岸田氏は、ある時代まではこのような悪循環が螺旋状につづくことに一定の内的な「歯止め」がかかっていたのだが、「そのような内的歯止めを欠いた文明、抗体を生じさせにくい病原菌をもった伝染病が現れた。ヨーロッパ文明である」と指摘する。

■この伝染病の最初の被害者は、ヨーロッパ人自身で、彼らは不安や妄想にとらわれ、たがいに殺し合った。ついでアメリカインディアンがこの犠牲になり、さらにアジア、アフリカにまでひろがった。キリスト教関係者や軍隊が、この病原菌の運搬者であった。江戸末期、日本にもこの病原菌がもたらされたのだが、日本人はインディアンとは別の対処の方法をとった。
 日本人はヨーロッパ文明ほど悪質ではないが、やはり伝染病である中国文明にすでに感染しており、他からやってくる伝染病に対してある程度、構えができていた。そのため、インディアンのようなひどい目にあうことはなかった。

■が、日本もまた文明という伝染病にどっぷりつかって、他の国や民族に感染者をふやしていった。この伝染病の基本要素として、氏は「他人(他の生命)を単なる手段・物質と見るあくなきエゴイズムと利益の追求、不安(劣等感、罪悪感)に駆り立てられた絶対的安全と権力の追求、最小限の労力で最大限の効果をあげようとする能率主義」をあげる。
 民族がこの方向に踏み出すと、あとは坂道をころげ落ちる雪だるまのような悪循環が限りなくつづく。

■現代文明の本質を鋭くとらえた論である。この本が書かれたのは昭和53年で、以後の展開を見ていると、岸田氏の「論」は残念ながら当たっている。
 自然のサイクルの中で自然に順応して生きる「未開」といわれる文明の中には歯止めがほどこされているのだが、「現代文明」のほうの歯止めは麻痺しており、悪循環に陥ると、坂道をころげ落ちる雪だるまのようで、もはやとめることはむずかしいとのこと。

■敢えて皮肉に、斜にかまえた論を展開しているのだが、ほかの論考もきわめて面白く、下りる駅を忘れるほどだった。
 帰宅して2時間ほど仮眠すると、やや頭がすっきりした。すでに午前2時すぎだが、これから仕事をすると、床につくのが朝になってしまう。とっくに約束の期限のすぎてしまった書き下ろしの本の原稿のこともあり、さらにあれやこれや……書きたいもの、書くべきものがあるのは、物書きのはしくれとして悪いことではないが。加齢ゆえか、「パッション」が不足しているなあと思う。これが枯渇してしまったら、もう書けなくなり、生きている意味がなくなる。
by katorishu | 2007-06-08 02:26 | 文化一般