久しぶりの新宿は若者であふれていた
2007年 06月 17日
■久しぶりに新宿にいった。某氏と情報交換をするためであったが、天気がよかったせいか若者が裏道にまであふれていた。数が集まると熱気やエネルギーがあり、頼もしさもちょっと感じさせてくれる。一瞬、早慶戦でもあったのかと思ったほどで、昭和39年の東京オリンピックのころを思い出していた。当時は、新宿は若者の街で日々熱気があふれていた。
■悲しいかな中高年では、いくら集まってもこの熱気は出ない。次代を担っていくのは若者なのだから、「最近の若い者はだめだ」といっているだけでは、何もはじまらない。熱気やエネルギーがあるというだけで、大変なことである。年長者としては、お説教めいたことではなく、彼らの熱気やエネルギーに意味のある方向付けをさりげない形でしてやったり、力を発揮できる「舞台」をあたえてやることが大事である。若者は可塑性に満ちているし、舞台をあたえれば急速にのびる。
■もっとも厄介で問題なのは、ひとつの観念に凝り固まって、そこだけがより所になっていて他が見えない(見ようとしない)中高年である。この類の人がたまたま組織などで権力を行使できる立場にいると、害悪は大きい。
よくいわれることだが、キャリア官僚にしても課長補佐あたりになる前の官僚は優秀で純粋な気持ちをもっているのに、地位があがっていくにつれ、悪い意味の「慣れ」が生まれ不正を不正と意識できなくなっていく。すると我執が鎌首をもたげる。
■年をとっても、若いときの「純」な気持を心のどこかにいつまでも保持して欲しいものだ。「まだそんなオアくさいこと考えているの」などという訳知り顔の中高年がいるが、彼らこそ社会の劣化を促進させている。若者でにぎわう新宿駅中央口から南口に向かって歩きながら改めて思ったことだった。
それはそれとして、駅周辺の景観の劣化は甚だしい。特にけばけばしい広告の看板と騒音には閉口する。昔から盛り場は騒々しかったが、広告看板は今ほどあふれていなかったし、店の音楽やスピーカーの音もこれほどうるさくはなかった。
■先進国の首都でこれだけ汚い景観と騒音に満ちた都市は、他にないのではないか。駅前の景観は特にひどい。儲かればなんでもありという価値観が、こういう景観を生み出す。景観の劣化は精神の劣化につながっていくものである。
劣化を劣化と感じなくなっている鈍感な人の増えていることも気になることである。