原爆投下は「しょうがない」と久間防衛大臣発言
2007年 07月 01日
■今年も半年が過ぎた。予定したことの大半は未消化で、時間の配分がうまくないなと思う一方で、これが限度かなと思ったりもする。ただ、よく読書もし資料も読み込んだので、脳への蓄積は相当程度できたはず。それを今後、どういう方策で「かたち」にしていくか。「夢」はふくらむのだが、具体的な「かたち」にしてゆく作業は簡単なことではない。
■「かたち」になったとして、世間の人がどの程度評価をし、読んだり見たり聞いたりしてくれるか。人の好みはさまざまで、つかみどころがない。拙作に共鳴し共感してくれる人と、うまく出会えるといいのだが。そのためにも「力」のあるものを……と念じつつ作業を続けよう、とあらためて思ったことだった。
■ 久間章生防衛相が、「我が国の防衛について」と題して行った講演で、広島、長崎への原爆を投下について、「米国はソ連が日本を占領しないよう原爆を落とした。無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったという頭の整理で、今しょうがないなと思っている」と述べたという。(毎日新聞ウエブ版)
■長崎の出身の久間氏がああいう発言をすれば国民を刺激することくらい、十分に予想がつくはずである。なのに、敢えて発言をした。
戦後の閣僚のなかで原爆投下を「しょうがない」と公の席で発言したのは初めてではないか。以前、イラク戦争について批判的な発言をしアメリカ政府から批判されたことが背景にあって、敢えてアメリカ受けを狙ったものなのか、どうか。
■どう理屈づけようと、生物を根こそぎ破壊し死に至らしめる核爆弾を使用したことは、東京裁判でアメリカ主導で提唱した「人道に対する罪」である。日本の侵略を云々するなら同時に、原爆投下も裁かれるべきであったのに、戦勝国のおごりで触れさえしなかった。「勝てば官軍」にしっぽをふれば確かに「得」になるかもしれないが……。
今度の発言、参議院選挙をひかえ、国民の反発をまねくことをわかった上で、「ある意図」のもと発言をした可能性もある。
■もしかして、自民党に大敗北をさせ、政界再編を起こすために意図したものか。あるいは久間氏が「ある勢力」の追求、攻撃をかわすために、敢えて発言をしたのか。発言するようしむけられたのか。政治の世界は一般常識と違う力学が働いているので、さまざまに憶測される。明日の新聞のトップ記事になるに違いない。うがった見方をすれば、年金問題に集まっている国民の関心を他にそらすために敢えて「問題発言」をした……と想像することも出来る。