電車も店もクーラーの効かせすぎ!
2007年 07月 13日
■月に2回ほどやっている脚本アーカイブズ準備室の当番で、11時から17時半ごろまで北千住の「まなびピア」に。交通費程度はつくが、ボランティアである。足立区の公的施設の中で温暖化対策として室温をかなり高めに設定してあるので、蒸し暑く、汗ばむほど。それはそれでいいのだが、電車や喫茶店の冷房が効きすぎである。
■今月中に書かなければならない原稿がいくつもあり、30分以上の時間があると携帯パソコンを開いて原稿書きに励んでいるのだが、本日夕方入った北千住駅近くのコーヒー店の寒さには閉口した。室内は静かで、客も少なく、気兼ねなく「仕事」が出来たのはいいのだが、1時間ほどいると体が冷え切ってしまった。
■予定より早く出て地下鉄日比谷線に乗ると、ここも冷房が効きすぎで寒い。車内は空いていたので、恐らく満員の状況を想定して温度設定しているのだろう、寒風が上から吹き降り震えてしまいそうだった。本日は防寒着をもっていかず半袖であったので、しきりに腕を手でこすったりして温めていた。
■夏の外出に「防寒着」を用意しなければならないとは、おかしなことである。地球温暖化がいわれる中、自動販売機は至る所にあるし、24時間営業のコンビニも至る所にある。ぼくの住むところから半径300メートルほどの範囲にざっと思い浮かべるだけで、8店ほどのコンビニがある。売っているものは、どこも似たり寄ったりである。
■どこもかしこも画一化。そうして、部屋で暖房器具と冷房器具を同時に使用するような面妖な文明。必要以上に物をつくり、必要もない人にどんどん消費してもらう。そうしないと、成り立たない社会を築いてしまい、それを「繁栄」という。このまま「繁栄」をつづけていき、人が住めない地上にしてしまっていいのだろうか、といつも感じている。
■そう感じる自分自身、たいてい真夜中に起きていて電気をつけ、それなりのエネルギーを使っており、矛盾もしているのだが。
仕事部屋のクーラーは壊れたまま。しかし、敢えて修繕をしないで、耐え難い暑さのときは扇風機でしのぐつもり。夏は汗をだらだら流し、冬はかじかんで手をこすったりする。それが普通の生活であったのだが――。
今の社会を「おかしい」「間違っている」と思うこちらが、「間違っているのか」などと思うほど、現状肯定派の人が多い。少々の不満はあっても、この便利さ、快適さを手放したくないと思っている人を「現状肯定派」といっているのだが。
現状肯定を続けていけば、必然的に現状肯定を維持できなくなる限界点に達する。われわれはそういう時代を生きている。