東京遷都構想はどこへ行ってしまったのか
2007年 07月 16日
■長時間根をつめて原稿書きをしていたので、脳が限界を超えて疲れてしまったのか、慣れているはずのパソコンの操作がわからなくなった。これはイケナイと休息をしたが、原稿書きに熱中すると、馬車馬のようになってつい限界を忘れる。数時間がそれこそアッという間にたっている。
■脳の健康にいいわけがない。ぼくなどは一応「出来上がった」脳なので、それなりに堅固というか鈍くなっているが、若い人が長時間パソコンや携帯に向かうことで、脳髄に悪い影響を及ぼさないか心配である。
■アル中などもそうだが、10年20年と「続けている」と発生する病気がある。まだパソコンや携帯が日常のツールとして普及してから、10年もたっていない。長時間パソコン画面等に向かうことが、特に若い脳にどんな悪影響をおよぼさないか心配である。田舎に住んでいれば、すぐに自然とふれあえるのだが、都会だとどこもかしこも人工的である。
■ぼくが住んでいる界隈には、一戸建ての家は一軒もない。すべて鉄筋コンクリート建てのマンションかオフィスである。ところどころに小さな公園があるが、それこそ「猫の額」の狭さである。近くには小学校もあり、小さな子供たちの姿をよく見かけるが、こうも人工的な場所で育つ子供の先行きが心配である。
■ひところ、首都機能の分散がいわれたが、最近はほとんど聞かない。東京遷都という言葉も雑誌などに載っていたのだが、絶えて聞かない。
いろいろな機能があまりにも東京に集中しすぎている。地方分権がいわれるが、日本は未だ基幹部分は中央省庁の官僚が牛耳っているので、かけ声だけの「分権」でしかないようだ。
■東京に生まれ育ち、「地方」への足場をもたないので、ぼくは死ぬまで東京で暮らすことになりそうだが、「高度経済成長」以前の東京を知っているだけに、こんなにも人工的してしまっていいのかという思いを捨てきれない。
最近あまり「地方」に行く機会がないのだが、過疎化はますます進んでいるのだろう。過密と過疎。このアンバランスは、いただけない。政治の力でまずアンバランスを直していかなければいけないのだが、「お上」に弱い国民性なのか、「お上」のいる東京へ草木もなびく。
やっぱりどこかに遷都をしたほうがいいのでは――と思うのだが。今度の参議院選挙、首都機能移転を公約にかかげている政党はないのだろうか。